令和七年(2025)元旦

皆様へ謹み新年の御挨拶を申し上げます。
 
 
多くの人が守りの姿勢。
それなのに皆で踏ん張ったところで
世の中はガタガタと滑り転がって行く。
不安から
キョロキョロと他人の動向を気にして
大人しい振りをしていても
焦りから
誰かが先走れば一気に競争が始まる。
世界は引き続き徐々に悪化。
全体的な好転は望めないでしょう。
 
その様な今年に成功する人は
マイペースを保てる人ではないでしょうか。
どうぞ皆様が御自分の仕事を坦々と出来ますように
私もそうありたいと気持ちを新たにする今日です。
いつも通りに頑張りましょう。
 

この記事へのコメント

  • ツチノコ

    コメント失礼します。
    いつもお世話になっております。

    まず、以前に僕が残したコメントについて時間をかけて再考しました。
    読んでいただけるとありがたいです。

    余談ですが、
    自分が書いたものを読み返すと気を使ってしまいます。
    無理せず自分の間を大事にします。

    以下、以前の僕のコメント

    僕は
    意味への探究心を持つ
    人間の存在が
    世界にゾンビを作り
    ゾンビをよりゾンビ的に
    そして
    ゾンビの数をより増加させる
    と考えています。

    まずはこのコメントについて考えます。

    以前の僕は
    争い醜いは競う美しさが引き起こす
    と思っていたので、このようなコメントをしました。
    つまり
    美しい言葉を探求することは
    言葉で争う人を作るのではないかと。
    南泉斬妙の美しい猫のように。


    ・文化と感動体験
    間違いなくして感動できるか。

    AIの作品を見ていると、凝ったものを作ることはできても
    間の抜けた作品を作ることはできないように思えます。
    人間離れした凝り具合に違和感を覚える人は多いはず。
    どこまでも正しいのに詰まらない。
    しかし、YouTubeを見ていると皆
    間抜けになることを恐れているように思えます。
    それは、AIがお金のゲームを終わらせることを恐れている
    のと同じだと思います。


    以前、都市文化は感動を抑制すると考えているといいました。

    マネーゲーム=都市文化 ということです。

    しかし 日本文化=都市文化 でしょうか。
    そうでは無いと思います。



    真っ赤な空を見ただろうか
    BUMP OF CHICKEN
    を聴きます。

    部屋から見える
    暗んだ中で映える夕焼けが美しいです。

    ここに答えがありそうな、そんな気がしています。
    2025年05月28日
  • 批評界の管理人

     
    ツチノコさんへ
     
    半年も放置しているところ気にかけて頂き恐れ入ります。
    大体全ての問題の答えが分かってしまい、次のフェーズに移行しなければならない段階に来て、面倒くさくてぐーたらしています。
     
    頂いたコメントを拝見しましたが、進化が見られないというか、むしろ退行しているように思います。
    もう一度基本を確認されてはいかがでしょうか。
    例えば、
    チュンチョン人が壺を作る時、どう作れば人を魅了して売れるだろうかと考えます。
    日本人が壺を作る時、これに何を入れて運ぶべきかと考えます。
    この違いが、形と、意味を、はっきり分けます。
     
    全ての物において同様であり、体の見えない概念においても同じく、政治だって言葉だって何だって形と意味を考え得るわけですが、どうやらツチノコさんにはこの意味を理解してもらえていないようです。
     
    2025年06月04日

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