夢中だから生きていける

少し前に「リアル」という言葉が流行りましたね。

遅くなりましたが
前回の『化物語』の書評で
「現実感」を主に書きましたので
今日はそれについて書こうと思います。
 
「リアル」は数十年前から使われていましたが
最近に流行したきっかけは
コンピューター映像が進化しまして
実写と見分けのつかない光表現が創作された
という事からだったと記憶しています。
特にビデオゲームの映像表現を見て
子供たちが「リアル」を連呼していました。
空想表現の絵なのに
「現実に近い感覚がある」という意味で
賛美していたのだと思います。
 
ところが最近はその品質が当たり前になって
誰も「リアル」だと言わなくなりました。
どこか変なのです。
例えば
動きがいつも機械的に同じであったり
ビキニの鎧で銃弾を受けたり
手をかざしただけで爆発を起こしたり
もちろん生身だけで空を飛ぶのもそうだし
これを現実だと思う人はいませんね。
 
それで最近のゲームは
実写光沢のCGをアニメ塗りに差し替えて
わざと非現実に戻そうとしています。
最初から変だとリアルに見えるのですが
最初からリアルだと変に見えるからです。
今を生きる皆さんならこれを
感覚で分かる事ができるでしょう。
 
今日はこの問題を哲学的に解説します。
というのも
現実と現実感の違いが間違いを起こしていると
指摘したいからです。

 
では、想像してください。
人間の生命を完全に維持するスーツが
開発されたとします。
頭から足先まですっぽりと人間を覆って
栄養や酸素供給も健康維持も全部やってくれる
『老人Z』のような介護スーツの完成形です。
着ているだけでずっと生きていけるのです。
それを、あなたに着せまして
宇宙へ単体で射出します。
 
さて気が狂うまでどのくらいかかるでしょう。
 
これは過去に実験したものがありまして
真白な部屋に人を閉じ込めたら
どのくらい耐えられるか
早い人は数時間で具合が悪くなり
長くても数日だったと思います。
この実験結果は日本の刑務所でも
懲罰房に採用されていまして
狭い部屋に一週間ずっと座らせると
いかなる荒くれ者でも
精神的に落ち込むようです。
 
話を宇宙に戻します。
仮にあなたの具合が悪くなろうとも
スーツが全て解決してしまいます。
悩んでも、もがいても、恐怖に駆られても
治されてしまって
何にもならないし、何もできません。
ただただ地球から離れていく。
あれ今日は何日目だっけ? 
時間はもう分からない。
気がついたら地球がどれかも分からない。
自分が流されている感覚も思い出せない。
何もかも分からなくなって
何をするでもなく漂って。
この状況で果たして
何かできる事はあるでしょうか?
 
そう
宇宙でたった一つだけ自分からできる事
それはスーツを脱いで自殺する事です。
 
みなさんはこれを空想だと思うでしょう。
しかし
宇宙というものはほぼ全てがそんな世界で
おかしいのは地球という小さな小さな星にのみ
生命が存在している
これが現実なんです。
今ここに無いのは宇宙の現実感でして
それはそうです
私たちは地球の上で想像しているのですから
宇宙の現実感というものは真に味わえません。
 
それでは
みなさんの感じている現実感の方は何か。
それこそが夢です。
死界の大宇宙にほんの少し実った
生きる夢です。
都会に仕事を求めて群がるのは
生きるための夢を求める行為でしょう。
街は夜中も煌々と電灯をつけて
暗闇から生きる夢を守っている。
 
それなのに昭和期の夢世界に甘く浸って
それで生きて来れた人は
間違えて「現実を見ろ」なんて言うんです。
「夢では食えない」とか知ったふうに。
悲惨な事に
親が子に向かって言う場合もあります。
それって
「死ぬしかない」と同じ意味ですよ。
 
昔は「大志を抱け」とか
「夢を見ろ」とか
現実と戦うように言われました。
ところが今の老人は善意の顔で
アドヴァイスでも何でもない
本当に酷い現実の話ばかり若者に言う。
崩れかけた夢社会の亀裂から
無防備に現実を見てしまう人が沢山いる。
夢を生めない人こそ社会の中央を陣取って
そのせいで縮小する人間世界を
自分だけ生き残ろうと考えている。
 
今世界に必要なものは次代への夢です。

 
最近になってリアルなCGよりも
アニメーションに人気が戻りつつあるのは
CGが実写に近づけば近づくほど
夢が破れて
現実を思い知らされてしまうからです。
つまんないでしょう
CGだらけのハリウッドアクション
なんか変だもの。
「リアル」は「夢の現実感」であって
現実ではないのです。
アニメには命の意味があって
今その模索は現実を遠ざけています。
「アニメなんかに現実逃避して」なんて
言われてもそれは当然です。
人間は
夢中じゃなければ生きていけないのです。
 
最近の私が悩んでいるのは
批評というものが少なからず
読者に現実を見せてしまう事にあります。
私の中では
夢も見せているつもりだったんです。
夢の中から夢を見るよりもはっきりとした
夢と現実の両方を見せる事が
優良な批評の技だと信じていました。
けれど今
あまりにも夢が弱いと感じています。
批評に耐えうるほどの夢がないんです。
 
がんばろう未来の作家たちよ! 
 
現実に負けていやしませんか。
サラリーマンの優等作みたいなものを
先んじて作家が生んでどうするのさ。
もっとでっかい夢で世界を驚かせよう! 
 
それが作家の仕事なのだから。

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