江戸川乱歩 「パノラマ島綺譚」

ranpo.jpg四上(意味レベル):レベル六を手放したロマンチストの打ち上げ花火。
0から6(感情ステップ):超自然(0)に世俗からの解放を求める(1~4)が、その孤独(5)を理解されてしまってゲームオーバー(6)。


 
1926年、雑誌『新青年』に連載。
作者:江戸川乱歩。編集:博文館、春陽堂、光文社。及び青空文庫。
小説、82646字。
構成スタイル:サスペンス小噺。
主張:(自尊を匂わせた)娯楽。
ジャンルと要素:私小説(昭和初期)、妄想(空想+随想)、怪奇(ホラー+ミステリー)、サイエンスフィクション(空想+科学)、倫理(人生の意義)、人情(夫婦)、青春(中年理想)、官能(裸体)、暴力(殺人)、ほか。


 この小説を批評するために物語の全てに触れる。要約から始めるので初見を大切にする人は小説を未読のままこの先へ進む事のないように。
 
批評「理想を掴み損ねた男」
 理想。それはどうして、いつも、いつまでも、理想のまま終わってしまうのか。
 主人公の人見廣介(ひとみひろすけ)は自分の理想を実現する夢を持った小説家である。しかし彼には実現する力がないので致し方なく文章の中にその夢を描いていた。これが誰からも理解されない。その難解な理想とは超自然の創作である。人間が世界から感じ取る美しいもの丈けで構築された人工の自然世界を完成させる事。例えば西洋絵画に見られるような、自然に裸体を晒している乙女たちの楽園を、実際に生きてみたい。それは究極に美の世界である。しかし文章にそれを書いたところで体験は出来ない。だから廣介の頭にのみ存在するその世界を誰にも伝えられない。然るべくして廣介はうだつの上がらないまま中年になっていた。
 そこに、自分と瓜二つの容姿を持つ菰田源三郎(こもだげんざぶろう)という知人が死んだ知らせが舞い込んでくる。彼は廣介の夢を実現し得るほどの資産家だった。これを聞いて野心に支配された廣介は源三郎の墓を暴いてその死体を隠すと、自分が源三郎に成り代わって、墓からの甦りを演じる。現実にその怪奇を目の当たりにした村人たちは源三郎の復活を信じた。さらに一度でも不思議を認めてしまうと廣介が多少無理のある源三郎を演じてもそういうものだと思い込んで疑わなくなる。これを利用して廣介は源三郎の資産を強引に整理するといよいよ理想郷の建設に着手するのだった。
 しかし、源三郎の妻であった千代子が一人この現実を疑っていた。廣介の姿形に源三郎との違いを見つけられないが、彼女は心から源三郎を愛していたので、何かが違うと感じ始めていた。廣介は千代子を不安因子と思い怖れて遠ざけようと思うが、彼女の姿も心も余りに美しいため、離縁まで決心が出来ない。理想を求める廣介には自分が美しいと思うものを手放せないのだ。もしかしたら廣介の正体を千代子に知られたとしても、この理想の素晴らしさまで彼女が理解してくれたなら、源三郎を捨てて自分を愛してくれるかもしれない。そうならなければ完璧な理想への障害となる千代子の存在を放って置くわけにはいかない。殺してしまう他にない。廣介は意を決して千代子を完成目前の「パノラマ島」へ連れていく。
 千代子の前に現れたのは、美術と自然の堺が見えない境地で、島一つをまるごと作品に仕立てた巨大なパノラマ館であった。ある一部では自然がそのまま利用され、ある一部は自然と見紛う風景画や人工の仕掛けで制御されて、それが完璧に融合している。雇われたエキストラはその世界の住人になって、演じながら陶酔し、訪れる人を完全美の世界に誘う。千代子は美しさと恐ろしさに魅了されて廣介にしがみつく。そして廣介の才能を認めると同時に源三郎ではないという確信を得てしまう。彼女が現実を捨てて理想を求めてくれる同志ではないと諦めた廣介は彼女をその手に掛ける。廣介の理想は千代子という美を欠いて傷がついてしまうのではないか。否。彼はパノラマ島を完成させる人柱として彼女の死体を壁に埋めて永遠に理想郷の支柱とする計画を立てていたのだ。
 パノラマ島は完成された。かに見えた。しかし廣介の理想の無可有郷(むかゆうきょう)は訪れた一人の他者によって崩壊する事になる。彼は文学者だった。そして廣介の小説を読んでいたのだ。廣介の計画の一部始終を理解していた文学者はそこに千代子の死体を見つけてしまう。夢の世界の終わりを覚悟した廣介はせめてここに死のうと花火に乗って体ごと砕け散る。暖かい血の雨と彼の生々しい手首が降ってくる。
 
「理想と現実」
 小説の核心に迫ってみる。
 理想とは何か。物事の最も良い状態を考案する事だとしばしば間違われるが、正しくは物事にある理論について考える事である。理論を想像するから理想と言う。これが現象として実在すれば現実である。
 例えば、恋をした男が「俺の理想は彼女と結婚する事だ」などと間違って言う場面を見掛ける。その男は自分の人生においてその女と結婚する事を最も良いと考えているわけだ。ところがそれで結婚をした二人に破局が訪れる事もあるだろう。この時に周囲は離婚をする二人を見て、理想は実現しないものだ、と思ってしまう。
 さてこの理想は男の勘違いなのだろうか。そうではない。男は女と結婚したのだから、理想はしっかりと実現しているではないか。ここで間違っているのは理想を「最良の状態」だと思っていた事である。もっと正確に言い当てれば、結婚前の男は女との結婚を最良の状態だと理想していて、結婚後の男はそれを最良の状態だと思えなくなったのだ。つまり、理想は成立したのだが、良くないものもそこにはあった、という事になる。
 これを加味して男の台詞を正しく直すと「俺の理想では彼女との結婚が成立する」という事になり、それ以外に「彼女との離婚も成立する」という事を考えていなかったのである。すなわち、現実には理想の外に沢山の要素が存在しているが、理想とはその邪魔な要素を削ぎ落とした綺麗な計算なのである。シンプルに綺麗な計算式というものはその最も良い状態を表しているように思われるが、これは理論上の話であって、現実において最も良い結果を導くわけではない。
 
理想 = 現実 - 邪魔
 
すなわち、
現実 = 理想 + 邪魔
 
である。なので理想は実現するが、その時には邪魔なものが+され、だから理想は=現実にはならない。
 話を小説に戻すと、主人公の廣介は最も綺麗な理論を頭の中で想像している。これはきっと、それ丈けで成立するならば、美しい世界なのだろう。ところがここに計算外の千代子が現れる。廣介が理想の邪魔になると思って切り捨ててきた世俗の生活の中に理想の要素が存在したのだ。もし千代子と普通の幸せな生活が出来てしまえば、パノラマ島などどうでも良くなって、廣介は自信の理想を見失ってしまう。
 資産も良妻も手に入るなら理想なんて忘れて良いではないか。というとそう簡単ではない。廣介は同型の源三郎に理想を足した存在なのだから、この理想を失うという事は、廣介が源三郎になってしまうという事なのだ。自分の理想を実現するために源三郎を演じていたのに、これでは自分を捨てて、源三郎を演じさせられる事になってしまう。つまりそこに残るのは周囲の認識の通りに、廣介が消えて、源三郎が生き残ったという結果になるのだ。まさにミイラ取りがミイラになる。するとこれは
 
現実 - 理想 = 邪魔
 
になって理想を欠いた世界に残るものが邪魔しかない。廣介にとってこれは千代子であろうが、廣介もまた邪魔な存在になってしまう。当然であるが周囲から見れば廣介は最初から邪魔しかしていない。そして廣介を邪魔だというならば、相対して源三郎の存在の方が理想形だったという理論が整ってしまう。唯一の自信を持っていた自分の理想が理想ではなくなってしまったら、その存在は全く虚しい。
 一般的に凡人とは、自分に才能があったら全てがもっと良くなる、と思うものだろう。ところがこれを見ると、源三郎に廣介の才能を加えても、結果は良くならない。才能があるから不幸にもなるのだ。それでもその不幸な才能を養わなければ自分の存在価値がなくなってしまう。だから才能ある人は、自分が自分であるために、平凡な幸福を求めていられない。ただ生きる事さえ大変になるわけなのだ。
 廣介は自分を「理想」だと思って小説を書いている。しかし周囲は彼を「邪魔」だとしか思っていない。どうして私は誰にも理解されないんだろう。そう思って小説を書く廣介の事を周囲は社会のゴミか何かだと認識する。この苦しい状態を打開するために廣介は理想を理解させたいと思う。これまで現実から理想を引いた生活をしていたから邪魔にされるわけで、それならば理想を現実に加えられるものとして、一気に+転換したらどうなるだろう。つまりパノラマ島を実現する事で
 
現実 + 理想 = 邪魔ではない何か
 
になれるはずだ。-理想が邪魔になるなら、+理想は邪魔ではない何かになる。これがこの小説であり廣介の人生を賭けた挑戦である。確かにこの式だけを見れば希望も湧きそうだが、残酷な事にこの綺麗な計算式が廣介のとどめをさす。この式は次のように置き換えられるからだ。
 
現実 = 邪魔ではない何か - 理想
または、
理想 = 邪魔ではない何か - 現実
 
すなわち廣介が邪魔ではない何者かになれたとしても、理想を失わなければ現実にはならないし、理想もまた現実を失わなければ成立しない。だから廣介が理想をもって現実に成功する夢は叶わない。前述した通り理想を捨てると廣介の存在は消えてしまうので、生き残るためには現実を捨てるしかない。しかし、それはパノラマ島を失うという結末になって、どちらを選んでも死ぬ。
 廣介が千代子を手に掛けた時に物語の終焉を感じ取った読者も少なくないと思うが、実は源三郎にすり替わった時点で、さらには「理想を実現しようと思い立った時点で」廣介の滅亡は確定しているのだ。これは厳しい問題提起だと言えないか。一般に才能のある人は、その夢を実現しようと思ったら終わり、というわけである。また先に挙げた結婚の例え話で言えば、男の結婚理想は女と結婚したら終わると決まっていた事になる。夢を現実に追い掛けるな、人生が終わるぞ、という警告がここに導き出されるではないか。
 こうなると廣介タイプの人間の存在意義とは何だろう。邪魔な存在は最初から生まれない方が良いのだろうか。式から邪魔を消し去ってみるとスムーズに
 
理想 = 現実
 
となる。邪魔が消えて理想が現実になって良く見えるかもしれないが、理想と現実が全く同化してしまった世界では、理想という概念も現実という概念もなくなり、ただそこにある丈けの世界として何も考えられなくなってしまう。すなわち邪魔な存在がいなければ理想も現実も何も考えられない動物に人間はなってしまうのだ。廣介タイプの人間は、世界に人間を人間として存在させるために、いなければならない。
 ゆえにとても残念な結論を言わざるを得ないわけだが、廣介がうだつの上がらない生活を続けていると、理想も、現実も、廣介自身の存在意義も、全てが確立されてそれが最も良い状態になる。夢は夢のまま。この小説の通りであれば、この理論に抗うと命はない。
 
「理想を手放した男」
 小説の出来について。
 言葉の使い方や文章の書き方は丁寧である。漢字の使い方に少し特徴が見られるが読みやすく問題にならない。ケアレスミスは少々ある。章節や構成はむしろ丁寧に作り過ぎているせいで退屈にもなるが、余計な記述はないので好きか嫌いか読者の感性に委ねられるだろう。中でもパノラマ島の景観について書かれる章は冗長だと思う読者が多いようだが、天才の想像というものを表現するためにわざと読者に共感されないよう難しく細密に書いている節があり、これは狙い通りかもしれない。情景の表現力は傑出しており作者の高名の基礎になっている。例えば源三郎の死体から剥がれた薄皮が廣介の掌に張りついてなかなか取れない描写で、以後の廣介に取りつく源三郎の存在感として意味と絡み、死者の怨念があるのではないかと恐れさせる犯罪心理も的確に表現するのは絶妙だ。
 内容意味については本論で解説した問題を作者は間違いなく熟慮して作品に込めているので、例えば千代子がパノラマ島に魅了されていく終盤は一体どこへ決着するのか、どう転んでも面白くなる展開にハラハラさせられる。主人公が他人に成り代わろうとして失敗するお話だと簡単に批評するわけにいかない。これを作者はシンプルな推理小説の形で描くが、犯行よりも心理を解く小説なので、主人公を探偵役ではなく犯人に据えて事件を豊かに表現している。繊細な表現に、深い考察があり、切り口は大胆な、これぞ文豪の一振りだと言える。
 ただし唯一、致命的な失敗を挙げなければならない。それは作者に自分たち作家を憐れんでしまう優しさがある事だ。
 主人公である廣介を犯人として小説を作ると、彼の理想制作が犯罪という位置づけになるわけだが、小説で彼の犯す過ちは源三郎の墓荒らしと千代子の殺害であり、理想制作そのものが犯罪とは言えない。これは作家の思い描く理想は罪ではないと作者が配慮した現れだろう。だから廣介は悪ではないが、やり方が悪くなってしまった、という形になった。これでは仮に廣介が源三郎として最初から生まれてきていれば問題がなく理想郷の実現が出来てしまい、貧乏に生まれたせいで可愛そうな主人公と一言で片づけられてしまう。
 先に解説した通り、廣介のように軽蔑される立場の者がいるから世界に理想は生まれて、苦悩する廣介は才能に目覚めるのだ。だから廣介はなるべくして犯罪者になり、それは殺人などというチンケな行為ではなく、彼の存在こそが人々を理想という魅力に惑わす大犯罪なのだという世界をパノラマ島に広げられたら、意味レベル六は確実だったろうし、誰も知らないその上の世界を見たかもしれない。
 江戸川乱歩という作家の中には、悪行ばかり考えてしまう本性と、それを懲らしめる探偵を描きたい正義の願望があったのだろう。結末は、才能の奔放を、冷静な文学視点が制止して、夢が終わる。それでも二人は互いに理想の理解者として通じ合い、最後は高らかに花火として打ち上がる。これが乱歩の情けというわけだが、理想でも現実でもないロマンチストに逃げるのは、この残酷な小説の意味も逃がす事になる。
 
残酷なのに優しいロマンチスト。彼はこの不思議な犯罪で人を魅了する。

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