言葉を研く

日本語の力は意味なのだー
 
なんて私は書いてしまいましたが
古典を読むといつも自分の言葉について
考えさせられてしまいます。
いな考えさせられると言うよりも
打ちのめされるに近いですね。
この言葉はそういう意味だったのかーと
気づいては自信の失せる事しばしばです。

 
昨年末には海について記事にしました。
そこで日本の先祖が海を「うみ」と読んだ
と書きましたが誤解のないように
「うみ」に海を当てた
と説明した方が正しいのだろうと思います。
我々の先祖は漢字を輸入した時に
「海」と書く字を見て
それは私たちの言う「うみ」だねって
この二つの言葉を合体させようとして
中国語読みを音読みに
それまでの日本語を訓読みに
したわけですよね。
 
これを私たちは学校で
漢字を簡略して平仮名が生まれた
と教わるでしょう。
その誤解によって日本語の元は漢字だと
言われてしまうことがあります。
厳密に言うとこれは間違いで
本当はそれまでにあった私たちの音言葉を
書き言葉に直す必要が出来たので
漢字をモチーフにして生み出したものが平仮名
というのが正解だと思うのです。
日本では「うみ」の方が
海より先にあったはずです。
そうでなければ読みも中国語のまま
輸入するだけで良いのですから。
 
ところが今や中国語の海は hai になって
上海のハイですね
もしかしたら元から hai だったものが
日本で訛ってしまって
kai になったのかもしれませんが
こんな風に違ってしまうと
音読みをする必要がなくなってしまいます。
 
巷では頻繁に「読みを間違えている」と
指摘されている場面を見かけますが
音読みは元から間違っている場合が多いです。
例えば凡庸と汎用を混同してしまって
汎用をボンヨウと読んだ部下を
上司が馬鹿にするなんて事があるでしょう。
本来はどちらもハンヨウと読むべきでしょうし
正確にはファンヨンと読むのかもしれません。
 
学校教育で読み方をテストされた経験からか
読みに煩い年寄りを見かけますが
正しい読みが何かと問うのは
その人たちが考えているより難しいです。

 
そして、意味の方はさらに難しいです。
中国では海を生みとは考えていないのですから
ここが日本語独自の意味の力になります。
つまり日本語とはなにかという答えが
この意味にあるわけです。
 
前回説明しましたが
日本語は平安時代に漢字と融合し
鎌倉時代に仏教として民衆が言葉を覚えて
明治から新日本語を作っていますから
文字の意味を探るには
現代の汎用例を踏まえた上で
鎌倉から使われていた元の意味を調べて
そこから漢字と日本語哲学の融合を推測して
ようやく一語をマスター出来るわけです。
 
昔の中国ではこの漢字がこういう意味だった
という事を調べただけでは
日本語を分かったとは言えません。
現在の日本でここまで習得している言語学者は
おそらく片手で数えるほどもいないでしょう。
 
今回『今昔物語集』を啄みまして
現代語訳をしているサイトを
いくつか見たのですが
私の目から見て
この訳者は完璧に意味を捉えていると
思えるサイトが見つかりませんでした。
難しいと思います。
日本語研究のために古典を読むなら
原文を自力で読むしか方法はないのですが
その時に利用する
言語学者の作った古典辞書さえ
間違っている可能性があるわけです。
 
これも一例を出しましょう。
最近はどうか知りませんが
昔は学校のテストに出題されました
「つとめて」の意味を答えなさいと。
これ、辞書を調べても「早朝」と
書いてあるんですよ。
間違いです。
 
『枕草子』の有名な書き出しで

春は曙(あけぼの)
夏は夜
秋は夕暮
冬はつとめて

とあります。
最初の三つは現代でも使われる言葉ですので
最後の「つとめて」を問題にされるわけです。
この文をよく眺めてみて下さい。
「春 → 夏 → 秋 → 冬」
と季節を四つに分けて進ませていますよね。
それに対して後ろは一日の時間を四つに分けて
「あけぼの → 夜 → 夕暮れ → つとめて」
と時間を戻しているんです。
となると「あけぼの」が早朝ですから
六時間ずつ戻して「つとめて」は昼です。
早くてもせいぜい午前中になるでしょう。
 
「つとめ」はお勤め(仕事)の意味にも
なりましたから
勤めを早朝からやらせたい人たちが
早朝の意味にしてしまったのです。
平安時代の貴族は
早朝から仕事なんてしないでしょう。
 
言語から離れてしまいますが
私は小野妹子も変だと思っています。
妹子って女でしょう。
「子」は今と違って君子につけるから
と言われるのは分かりますが
問題は「妹」の字の方で
中国語では「女の子」の意味です。
普通に考えたら
小野さんちの女君子という意味で
妹子は本名ですらないでしょう。
 
まさか王の使者として来た人が
女君子を名乗って男だったら
普通に女性が来るより
おちょくっていると思われますよね。
もし使者を自称する外国人男性が日本に来て
「ワタシ ハ オンナ デス」
と挨拶して来たら
やばい奴が来たと思いませんか。
からかいに中国へ行ったという可能性も
ないとは言い切れませんが。

 
学者が間違えている事なんて
いくらでもあります。
私も記事は自信をもって書いていますが
間違えているかもしれません。
日本語を探求するのは
言葉を研いて精度を上げていく
外に方法はないのでしょう。
その努力が意味になって
伝わってくれたらいいなと思っています。

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