師忘

今年も雪降る季節になりました。
 
ここ数ヶ月の勉強は何をしていたか
と言いますと
聖書論の根拠を強化するために
文化と歴史の始まりを探していまして
北欧神話からイタリア史、インド哲学、
そこから仏教を経て『古事記』と
先日は三島さんの『奔馬』を読みました。
 
各々解説したいことは沢山ありましたが
私は哲学派なので
原典探しの歴史学は手を出せませんし
三島さんの批評は立て込んでいますし
まとまらないと記事に出来ないせいで
何も書けません。イライラ。
ツイッターでも始めようかしら。
 
それで、先日の記事にてようやく
今年の作業に手応えを感じています。
 
「空から降るのは雨だけじゃないだろう」と
なんと海が降って来るわけですけれど
この感覚は多くの人が持っていると思います。
と言いますのもこれが日本神話なんですね。
イザナギとイザナミが高天原から遣わされる
この凪と波とは海のことでして
高天原は宇宙ですね。
それで子供を生みに地球へ来るわけですが
水蛭子(ひる、微生物だろう)とか
淡島(あわ)しか生まれません。
海は困って「宜白」(白くすべし)する
つまり一からやり直すわけです。
 
そこから地表に島が出現しまして
色々な命が生まれていきます。
この時に母であるイザナミは
火の嗅ぐ土(マグマで燃えさかる大地)に
焼かれて死んでしまいます。
イザナギは冥界へイザナミに会いに行きますが
イザナミは荒ぶってイザナギまで
死に引き込もうとします。
 
ここが面白いところですね。
無風状態の平和な凪と
荒れた波は同時に存在できないのですが
同じく命を求める海なんです。
海が荒れていると命は生まれないし
無風の平穏無事でも生まれません。
かき混ぜられる状態でありながら
平和でないと命は生まれないわけです。
 
その波こそが母であると
そしてそれは冥界であり死であると
日本文化は考えています。
全く物事が動かないと腐敗しませんが
波は流れを生みますから
イザナミの見せる死は腐るのです。
腐女子というやつですね。
怖くなった男は逃げる。マテゴブー。
 
平定を求める男に出会ったら
女はかき乱されて波打ってしまう
その荒れのせいで
女を求める男は死と戦わなければならない
このせめぎ合い(波間に)に
命は生まれるのだというわけです。
 
最近ではアニメ『エヴァンゲリオン』の
最終回の一つに
命の波打ち際でヒロインのアスカが
主人公シンジを見て「気持ち悪い」って言う
これ西洋文化のアスカが神事を見て
子を孕むのか何なのかというシーンでして
これが日本文化から来ています。
あの意味は一つになれない男女が
互いを「ムカつく」と言い合う逢瀬により
子供が生まれるだろうという
ツワリと掛けているんだと思います。
また別の最終回では
「おめでとう」と命の誕生を祝いまして
聖書福音書を日本文化で描き直すという
一見すると難しい作品になっていますね。
 
この西洋と日本の文化統合は
三島さんが『金閣寺』で流行らせたものです。
『奔馬』では侍の日本男児が文化神事に死し
次巻では和を求める仏教女性を描くのだろうと
未だ読んでないので言い切れませんが
大事な意味は「女のせいで男が死ぬ」という
この思想です。
既読の人にだけ分かることを挙げますと
主人公勲の最終シーンは
『古事記』になぞらえているんですよ。
 
ああ、解説したい。
みなさんが近所の友だちだったら
読書会を開いてあーだこーだと
その場で徹底解明すれば早いのですが
いかんせん文字に起こす作業が大変でして
聖書の記事を先に書かないといけませんし。
ユーチューブ生放送でもすればいいのかしら。
 
なので今のところ
先日の記事を眺めて頂きたいと思います。
あの神話のような記事が
数万年の人類文化の究極の答えです。
しかも今回は日本神話で説明しましたが
あれは日本発祥の思想ではなくて
どうやらペルシアかインド辺りから
世界へと広まった信仰の起源になります。
すなわち日本だけでなく地球上で
人間が起こしている全ての問題の
答えがあれなのです。
 
これを頭に入れたら
本も読めるアニメも見れる
文化も解る宗教も攻略できる
さらに戦争を制御したり宇宙開発もできたり
万能に使えるかもしれません。
逆に言うとあれが頭に入っていないと
人生は何も出来ないです。
 
究極だぞっ☆
 
あと善正悪としてまとめましたが
日本神道は善に向かう一元だと
三島さんは考えていたようで
そこに善悪を二元論とする西洋文化が
戦後に流入したと以前説明しましたが
今回はさらに仏教を取り入れて
三元論にしています。
世界は三次元の立体で出来ているのに
人々の頭はまだ二次元の思想に捕われて
良いとか悪いとか簡単に言う人が多いです。
三元で物事を考えるというのは
これから主流になると思われる
未来の哲学になります。
今はこう捉えておいて下さい。
 
善とは内へ向かう精神
悪とは外へ向かう行為
正とはその合い間に漂う人
 
この三つを物差しのように使えると
ほとんどの本を解釈出来るようになります。
 
三島さんは
精神の中に完善の太陽を見ました。
女は美をちらつかせて生命の喜びを説くけれど
その結末は腐って醜くなる冥界への案内人だと
そんな風に女を見てしまう。
戦う男が純粋に美しくなるためには
腐る前に死を自らの手で克服する
それが神風連の切腹であると説きます。
 
ところが、善と倫理を説いて死んで見せる
三島さんの生き方は
夏目先生が『こころ』の中で先生として
既に読んでいたのです。
夏目先生は自殺しませんでしたから
やっと三島さんを助けられそうな緒が
見えて来ました。

この記事へのコメント

  • 不二男

    現在も他の媒体に投稿してないんですか?
    2020年04月18日
  • 批評界の管理人

    >不二男さん

    コメントありがとうございます。
    返信が遅れまして、すみません。
     
    他の媒体とは何か分からないのですが
    ネット以外での一般雑誌等の事でしたら
    私の批評記事はハッキリ言うタイプのせいか
    なかなか相手にしてもらえません。
    特に三島さんを褒める記事を書くような人間は
    嫌われてしまう傾向のようです。
    2020年04月22日
  • 不二男

    ご返信ありがとうございます

    本記事で書かれていた
    ツイッターやユーチューブ、それと読書会などなさってるのか
    気になってコメントしました!
    2020年05月07日
  • 京都アニメーションへの放火は金閣寺への放火でしょうか。
    2020年05月08日
  • 批評界の管理人

    コメントありがとうございます。
    突然の鋭い御質問を頂いて私の眠気が飛びました。
     
    この2つの事件を、その社会で起こるべくして犯人自身もよく分からずに犯行へ至ってしまった、という性質で見れば同質のものだと思います。
    どちらの犯人も恨みの矛先は特定の個人ではなく社会組織だからです。
     
    しかし
    三島さんが健在だったとして京アニの事件を題材に選ぶかと問えば否ではないでしょうか。
    京アニの犯人は恐らく、ヴァーチャル世界の炎上を現実に表現する、という感覚だろうと思います。
    つまり、アニメーションの視聴によって芽生えた彼の自我が現実では無視されることへの反発、ですね。
    けれどもあれではアニメーションという意味まで燃やすことができません。
    アニメ会社は傷を埋めてまた元に戻ってしまいました。
     
    金閣寺の方はあの炎が荼毘なのです。
    だから金閣を再建すると、諸行無常に反して住職が所有の欲を持っている証明になり、仏教的な死をもたらすことができるわけです。
    それに現実の死傷者を出しませんでした。
    完全犯罪と言えます。
     
    それにしても、どちらも京都というのは何かあるのでしょうかね。
    2020年05月08日
  • コメント有難うございます。
    恐縮です。

    京都には何があるのでしょうか。

    管理人さんの
    京都アニメーション放火事件と金閣寺放火事件の比較において、

    アニメーションという意味まで燃やすことができなかった
    京都アニメーション放火事件と

    住職が所有の欲を持っている証明により、仏教的な死もたらした
    金閣寺放火事件は、異なる と理解しました。

    しかし、私の感想でしかありませんが

    京都アニメーションは、
    原作を製作委員会方式で用意する、
    多数のアニメーション会社と異なり
    オリジナルの原作を元にアニメーションを作る
    独自の哲学を持っています。

    それは、ファン、信者として言います。

    京アニ放火犯は、この独自の哲学を荼毘に付すことが目的であったと思います。

    京都アニメーション制作のメインスタッフの方々が仕事をする、メインの第一スタジオが燃えたことがこの推理の根拠です。

    京アニ放火犯は、
    この独自の哲学を荼毘に付すことで、
    今後、京都アニメーションが独自の哲学を使用するすべての場面において、
    恐怖の体験、記憶として
    京都アニメーションのスタッフが思い出す状態を作ることが目的だったと思います。

    また、ファンが京都アニメーション作品を鑑賞する時、
    同様な状態が起きるようにする目的もあると思います。

    つまり、今後京アニ独自の哲学を使用する時、
    またはそれを鑑賞する時、
    燃やされた京アニが脳裏には必ず浮かんでくる状態です。

    つまり、これまでのように信じることが出来ない状態です。

    管理人さんの言われている、仏教的な死とは異なるでしょうか。





    2020年05月09日
  • 批評界の管理人

    京アニのファンにとってその第1スタジオは、仏教徒における金閣寺と同じ様に、象徴的な意味を感じるものなのですね。放火犯の手でその大切な意味に永遠に取れない煤をつけられてしまったように感じておられるのだと思います。
    その深い憤りへ私は何を言うことが出来ようか、再考する機会を頂きました。
     
    不肖な私は、小説『金閣寺』をほとんど解ってしまったことで慢心し、その記事を完成することなく既に説明した気持ちになっていたのです。
    この小欄では全てを書けませんので質問者さんの論点に絞りますと、重要なのは「金閣は燃えて正解だった」ということなのです。と言いますのも、金閣の金色は荼毘の炎の光を表現しているからです。
    金閣の建物は社会を見立てたもので、上階へ登るほど輝きを増して、屋根の鳳凰に導かれるまま、その光は太陽と合わさり、輪廻の循環へと死者を運ぶ船の模型でした。
    ところが炎上前の金閣は700年を経て輝きを失ってミイラの体となっていました。諸行無常に逆らって古い体に固執していたのです。つまり、死を導く金閣が、死を拒む象徴になっていたということです。
    この意味から本来の最も美しい金閣とは、夕日を浴びて金色に輝く時なのですが、悲しいかなそれよりもあの暗夜の炎上の一瞬こそが真骨頂に美しかったのだろうと思います。
     
    それに対して京アニの事件は、火の意味が浅はかです。
    犯人が真に京アニのアニメーションを信奉していたのなら、そのアニメに自分が含まれるように、完全な犯行を考えなければなりませんでした。
    ところがこの犯人はアニメの外側に火を放つことしか出来ませんでした。私たちは事件のせいでアニメを見る度にこの煤も視界に入れてしまいますが、京アニイズムが画面の絵より奥底に真に息づいているものであるならば、その煤は面前の汚れでしかなく、時間をかけて少しずつ落ちてゆくものだと思います。
    2020年05月10日
  • 管理人様に感謝します。

    これらは花の名前です。
    京鹿子
    都忘れ
    調べていただけますか。

    米津玄師の「馬と鹿」は
    京都アニメーションの第一スタジオが燃えたあとに創られたMVです。

    彼は冥界の使者だと私は感じました。
    私は恐ろしいです。

    Lemonで彼は祈るように恋を説いたと思います。
    しかし、恋は燃やされてしまいました。

    管理人さんなら恐さを感じていただけると思います。どうか言葉を私に繋けて下さい。
    2020年05月11日
  • そして、今から私も考えさせて頂きます。
    よろしくお願いします。
    2020年05月11日
  • ツチノコ

    まず、管理人様が誠意を持って綴って下さった美しい解説に対し、なんの言及もなく、自分勝手な疑問を投げ掛けた事をお詫び申し上げます。

    言い訳でしかありませんが、昨日の私の気は急いていたのです。

    管理人様の取り掛かっている作業の邪魔になることに対し考えが及んでおりませんでした。

    今後も、管理人様のブログで学ばせていただきたいと存じます。

    私は程度が知れた人間です。
    お暇な時にお相手をお願い致します。

    2020年05月12日
  • 批評界の管理人

    >ツチノコさん
     
    物や人に強く思い入れて、振り返って落ち込むのはしんどいでしょう。
    私も誰もそれで何度も失敗して来ているのでそんなに気にしなくていいですよ。
     
    ただし、米津玄師さんは・・・。
    エッセイに伴奏を付けるだけのアイドル歌手だと吉田拓郎さんに毛が生えたくらいではないですか。
    ああ、この言い方だとどちらのファンにも怒られちゃう。私よもっと気を使え。でもここに通うような玄人ならニヤリ。拓郎に毛なら最強だろうがって怒号が聞こえます。
    いや、ホントごめんなさい。
     
    以前にラッドを推してくれた方もそうなのですが、私はむしろその良さをもっと熱く語ってほしいのです。私の聞き込みが甘いのかもしれないし。
    みなさんから曲を教えて頂くのはありがたいのです。
    2020年05月13日
  • ツチノコ

    コメント有難うございます。

    お言葉を真面目に受け取り、図々しく熱く語らせて頂きます。

    米津玄師「 馬と鹿」について

    美に対する反感という意味で、京都アニメーション放火犯は、京都アニメーションの母性を燃やしたのではないか、と思います。
    因みに、京都アニメーションの従業員は過半数が女性で構成されています。

    歌詞の
    歪んで傷だらけの春

    父性(経済.金)で傷ついた母性
    だと思います。

    冥界=ヒノカグツチを生んで死んだイザナミのいるところだと思います。

    燃えて火傷を負って、亡くなられた方が居ることが京都アニメーションと共通していると思います。

    曲の中で冥界を連想させる6が散りばめられています。

    ラストのサビに入る前の音
    オーオオ、オオオーのコーラス

    ミュージックビデオのストーリー
    現代の父性を表すホテルの建物をバックに、(白黒の服は千鳥の暗示)海を表したバックダンサーが踊る。色のバンダナは恐らくイザナギが冥界より帰ってきたあと禊をした時産まれた、アマテラス、ツクヨミ、イザナギのことだと思います。  
    洞窟に入る、黄泉の国に行く。
    黄泉の国の軍団に襲われる。

    ストーリーを日本神話で上手く説明する力が有りません。単に馬と鹿が意味する「 金」の亡者とします。


    ラストのタイトルの字ですが
    明らかに画数を意識しています。

    馬=10
    鹿=11
    が正しいのですが

    馬=7
    鹿=8
    となっています。

    これについては
    まず、と=十 とします。
    つまり七十八です。

    彼は曲名からもわかりますが、ラジオでも百人一首を元に曲を作っていることを公言しています。

    百人一首における七十八

    淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
    いく夜寝覚めぬ須磨の関守
        作 源兼昌

    淡路島は、日本神話においてイザナギとイザナミの2番目の子供。( 1番目はヒルコで不具があったので船に載せたそうです。不具だけの繋がりですが、金閣寺の主人公との縁を感じます。) 
    厳密には違いますが出産に成功した初めの子供。
    大地の始まりを希望的に捉えるということなのか何なのか分かりません。

    千鳥は白黒の体毛の様で、米津玄師さんもそれを表現しています。
    夜、千鳥の鳴き声に起こされることが何なのかは分かりません。
    須磨の看守が何なのかも分かりません。

    鳥=八咫烏として
    咫は長さの単位で18cm
    タイトルの画数、鳥でなく烏、また馬にさんずいの漢字はなく馮しかないことから
    八でなく7を18に掛けると126
    大和物語百二十六段には、
    (登場する藤原純友は後ほど)
    むばたまの
    わが黒髪は
    白川の
    みづはくむまで
    なりにけるかな
    (私の黒かった髪は、年をとって白くなり、白川の水を汲むまでにおちぶれてしまいましたよ)
    とあるので、
    ミュージックビデオの米津玄師さんも髪が白髪かと思いきや緑でした。

    七十八が八十八となると、
    八十八ヶ所霊場を連想させられます。

    最後のシーンで海に入っていくので、
    馬のさんずいは無いのですが、馮
    鹿のさんずいで漉(ロク)

    馬の灬(レッカ)が逆さなことの意味は、五行において上に昇るものが下に行く、だから地下にある黄泉の国への送り火だと思います。

    このMVを見て感覚的な話なのですが、
    「 もう引き返せないぞ バーカ」
    と言われている気持ちになったのです。
    鼻先が触れたり呼吸が止まったり
    晴れ間を結ったりするので
    世界を冥界に誘っていると思ったのです。
    しかし、米津玄師が月の光に照らされているポスターで、天照大御神を暗示する左目で見つめてくれていることが、救いとなっています。つまり、黄泉の国から帰還だと思います。

    金の亡者を呪う歌なのに
    これが「ルーズヴェルトゲーム」というドラマの主題歌なので、皮肉です。

    因みに、何年か前にRADWIMPSの「 白日」をお勧めしたのは、何年か前の私です。

    通読いただけたら大変ありがたいです。
    管理人様の文章が励みになっております。
    2020年05月13日
  • ツチノコ

    解ったことがあるので、追記します。

    京都アニメーションの作品に
    「リズと青い鳥」
    があります。

    私は京都アニメーションのファンというよりこの作品のファンなのです。

    青い鳥は「幸せ、幸福」 を意味します。
    リズとは何か。
    私は図利(トリ)と考えます。
    図利の意味は、利益を得ようとすること。
    リズは図利を逆さにした読みで、逆の意味を意味することだと考えます。
    リズと青い鳥の作中では、幸せの青い鳥を手放すリズを描くとともに、響けユーフォニアムのサブキャラクターであるのぞみとみぞれが互いに依存し合う関係を手放すことで自由になる、
    ということが描かれます。

    これを米津玄師の馬と鹿に当てると
    千鳥は「千の図利」を意味し 
    百人一首 七十八番より
    千の図利の亡き声に、労働者が目を覚まし夜(冥界)にいることに気づく。
    と読めるのではないかと思います。

    金と経済を優先する父性が暴走する現代の労働者に、目を覚ませと訴えているのだと感じました。
    2020年05月14日
  • 批評界の管理人


    最近は批評の新作も出していないのに通い続けて頂いてすみません。
    私が頑張らなければならない時が来ているのかもしれませんね。
     
    先に誤解を恐れて断っておきます。
    私はツチノコさんや他のみなさんを攻撃したいと思いません。しかしその頭の中の邪な情報は私が壊さないといけない類のものだと思います。
    もし私の言葉をキツイと感じられたらそれは、あなたが大切にしている邪を私が攻撃しているのであって、あなた自身を攻撃しているわけではないと察して下さい。
     
    では一番重要な哲学の方法から始めます。
    感情が強い方はその思いに理由をつけようとして
    情報を足していってしまいます。
    これに対して哲学というのは
    出来る限り情報を引いていきます。
    音楽の記事でも音の一つに拘れと書きましたが
    この最後まで残る一つを見つけてこそ
    やっと哲学だと言えるのです。
    偽物の場合は何も残りません。
     
    早速一つ一つ処理していきたいのですが、言葉の氾濫を避けるために、最初のところ3つだけ挙げてみます。
     
    1、美に対する反感により母性を燃やしたのところ
    母性は美だと言えますか。
     
    2、父性(経済、金)のところ
    父性は金銭だと言えますか。
     
    3、それで母性は傷ついたのところ
    母性は金銭で傷つきますか。

    2020年05月14日
  • ツチノコ

    返していただいたコメントを冷静に見つめました。

    自分は管理人様を、何でも理解が出来、答えをくれる神様のような存在として見ていました。
    反省しています。

    現実とヴァーチャルではなく、現実と現実のやり取りである意識が、大きく欠けていました。

    自分の稚さを痛感しています。
    でも、心地よく嬉しいです。
    これは大切な学びになります。
    ありがとうございます。

    設問していただいた問についてですが、
    考える時間を頂きます。

    お心遣いに感謝します。
    次回の投稿、楽しみにしています。

    2020年05月14日
  • 批評界の管理人


    >ツチノコさん
     
    曲の解説をして頂いてありがとうございました。
    返信を強要するつもりはないので自由にやって頂いて構いません。しかしコメントは他の方々にも多く読まれていますから、用意しておいた私の分の答えを忘れないうちに書いておこうと思います。
     
    解説を意識しながら米津さんのPVを見ましたが、父性や金銭を毛嫌いする描写が見つかりませんでした。恐らくツチノコさんの個人的な悩みを投影して見ているのではないかと思います。
    冥界の描写は作曲の依頼がそうだったらしいのですが、ただ暗くしてそれだって言われてもなあ、というレベルの映像でした。テレビドラマ、レコード会社、PV製作、等の関係者は企画の上で連動するように見えますが、あくまで別会社なので、他社に発注する(他人任せの)仕事の域を越えないのが業界の通常です。このPVは流行を意識してこのくらいが落とし所かな、という程度の出来なので「意味なんて深く考えられていない」と思います。余談ですがビルの屋上で撮るPVは誰のものでも全部そうだと思って構いません。
    あと、カンナム方式で再生数パク盛りの彼はかなりの金を稼いでいるでしょう。
     
    それともう一つ、反省されているとのことですので責めませんが、確認のため書いておきます。
    私が前のコメントに「邪」と書いた「映像等に勝手な思い込みを付加したくなる気持ち」には気をつけなければなりません。京アニ事件について米津さんが馬鹿と歌って金の亡者を批判した、と勝手な解釈をしてしまうと、もし米津さんが「そんなつもりはない」と否定したら、馬鹿で金の亡者だと見ていたのは自分だということになってしまいます。
    自分と関わりのない事件に対して、主観を込めて考えるのは、しない方が賢明だと思います。

    2020年05月29日
  • ツチノコ

    コメントを放置したこと、申し訳ありません。
    自分には言葉を哲学する志がないです。

    指摘していただいた通り、自分自身の私生活の心情を投影していました。

    「自分と関わりのない事件に対して、主観を込めて考えるのは、しない方が賢明だと思います。」
    ご指摘ありがとうございます。

    回答を下さり有難うございます。
    2020年05月31日
  • 批評界の管理人

    あまり気に病まないように~
    2020年06月01日