内田 樹 「困難な結婚」

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三下(意味レベル):結婚を作ることについて、よく解らない論を展開する。
弱2から4(感情ステップ):結婚への好奇心に、幸福論を、我慢だと唱える。

 
2016年7月。
著者:内田 樹(たつる)。編集:アルテスパブリッシング。
小論、40字×14行×264頁(タイトル1章題10白1目次7端書6後書2)。
構成スタイル:散文。
主張:啓発(若者の結婚意識について物申す)。
ジャンルと要素:ノンフィクション(らしい)、随想(結婚生活)、社会(現代日本の経済事情)、倫理(夫婦)、人情(男女)、ほか。

 
「そのお説教は余計なお世話」
 結婚ができない。または結婚生活を円満に維持できない。そういった悩みの増加に対応すべく哲学研究者の著者が自身の結婚観を披露する自己啓発本の一種である。その内容は好々爺を気取った著者が誰かの質問に対して一問多答するもので、質問者に答えるというよりも、質問に合わせて著者の言いたいことを押し付けてくる。これこそ老人が嫌われる最もたる行為の「余計なお世話」というものである。
 そもそも自己啓発本というのは「お説教」である。悩む人に教えを説く文章が書かれている。だから自己啓発本を手に取る人というのは説教をされたい人であると言えるだろう。古くは僧侶の説法もそうだが、世の中には説教されることを趣味とする一定のニーズがある。叱られたい欲求を持つ人は意外といるのだ。それが面白いことに今は学生が好きな説教を選んで買う時代になり、少し昔は概ね教師が偉かったのに、昨今は立場が逆転して学生様のご機嫌を損ねることなく有益な情報を授ける努力を教師がしなければならない。面白い説教でなければその本は買ってあげないよと学生読者が斜に構えるのは経済社会の自然な流れであり、教師も学生も対等であるという学問本来の健全に立ち戻っている。
 この観点で見ると、お説教が余計なお世話になるのは教師が下手な説教をしているときだと言えるだろう。学生に必要とは言えない情報を押し付けたり、内容の説明が的外れであったり、教師が勝手に良かれと思うものを講釈するから、学生は嫌がる。ここで教師が自身の思惑の方へ学生を導きたいと狙うなら上手くやらなければならない。教師に偉力がなくなってしまった昨今では、面白く興味を引き出してあげる手腕がなければ、教育など成立しないのだ。
 この本『困難な結婚』はそれが下手だから余計なお世話になってしまう。著者は哲学をベースに結婚の倫理観を説こうとしているようなのだが、どうも彼の適性は社会学の方面であるらしく、政治思想の話などは大したものではない。ところが本心の狙いはそちらのようで、読者の悩みにつけ込んだ哲学問答を優しく説くような装いをしながら、実は若い人に政治への興味を持たせたいのだ。だから本書には哲学的な問いなど一切なく、結婚なんて適当にやったらよろしい、それよりも現行の社会が悪いという主張が詰まっている。結婚の話さえ実は読者を集めるための餌なのではないかという雑な扱いだ。
 ゆえにむしろ、結婚は家族という社会組織を立ち上げる公共の行為だという社会学的な説明は専門的で面白いのに、哲学を装った結論でまとめようとして、結婚は私事であるから脆いものだが守ろうとする努力により固い絆が生まれるといった、何を言いたいのか解らない矛盾が生まれてしまう。一体、結婚は公共か私事かどちらなのか。その言い訳のために「国家は私事である」といった福沢諭吉の論を引き合いに出して国家を結婚に見立てようとするのだが、読者は結婚の実利的な悩み相談がしたいわけだから、なぜに国家まで話を膨らませなければならないのか見当が付かない。こういう下手な論理展開がすなわち余計なお世話になるのだ。
 潔く社会論の文章を書いて、その一節くらいを結婚について割けばよかった。それが結婚の悩み相談の振りをして社会論を聞かせてやろうとするからいけない。どうせ社会論として書いた本は売れないが、結婚の悩み相談なら若い女性を釣れるのではないかという邪な思惑があったのだろう。
 この点は自己啓発本の体裁に悪く作用してしまい、大した結婚観も持っていない普通の爺さんが自身を保身するような結婚願望を若い娘に息巻く感じが出て、見苦しい。全体的に男の私はこう思うから女のあなたがそれに合わせなさい、といった「いかにも爺臭い」説教に仕上がってしまった。読者はこの著者と結婚するわけではないのだから、これを読んで従っても何の実利にも繋がらないだろう。
 
「愛は作れる、か」
 下評価の批評から始めてしまった今作だが、内容を見るとそこはさすがに論者らしく、主張は書かれている。
 その論旨をまとめてみると「まずは結婚してしまえ」「愛情はそのうち生まれる」「僕が病気になったときに助けてもらうための結婚だ」という説得で、面白い観点は前述した社会学的な「結婚は社会的なものだから円満な夫婦生活は公的な約束である」という意見だろう。結婚観については「結婚してしまえばみんな同じ」と言うなど、まるで若い者に結婚をさせたがってお見合いを勧める爺婆の意見そのもので、どこに哲学的見解があるのか素人のような説教が悩める者の役には全く立ちそうもない。
 社会学的な意見の方は、例えばセックスレスが離婚の原因として裁判でも認められるように、性生活にまで公的に約束された義務が発生している点を見ても正しい見解であると言える。どこかの夫婦が仲良くしていることが我ら日本社会においては公的利益であり義務なのだ。その公共性を得るための入籍であり、それを宣言するための結婚式であると言う著者の説もその通りだろう。中には、新婚者に年配が聞く「まだ子供を授からないの?」(最近セックスしてる?)というセクハラまがいの質問さえ公共的なものだから無下に嫌がってはいけないというような著者独特の意見もあるが、ここにも論旨の矛盾は見られない。
 事の問題は、この爺ちゃん著者の言う社会性が昨今は崩れてきていることで、若者たちは精神的内界(プライヴェート)に引きこもってしまい、社会的外界(パブリック)に信頼を持てないでいる点である。だから若者たちが結婚しないのは実に資金が足りないことよりも心に社会不信が蔓延していて結婚という公共の責任を負いたくない意思の表れだとも言えるだろうし、つまり、著者老人の結婚観が今では通用しないということでもある。本書に質問の形で書かれているように結婚の例を具体的に言えば、結婚相手の悪い面までも共同の責任の内に入れなければならないとか、相手の家族まで面倒を見なければならないとか、自分の転職などのリスクに相手まで巻き込んでしまうようになって身動きが取れなくなるとか、そういうことを若者たちは心配している。責任は取らなければならないが相手の分まで増える責任を取れる自信がない。それにいざ結婚生活を組み立てる決心をしたところで、すれ違いや喧嘩一つで離婚できてしまう現代社会の恋愛では、そのリスクは計り知れない。
 これに対して著者は、とにかく結婚してしまって経済的なリスクヘッジをすればいいと言う。結婚すれば二人の生活が一つになって経済苦境は緩和されるとか、病気のときには互いに看病し合えるメリットを謳う。つまり著者はそういう関係を結婚すれば築けるのだと安易に考えているわけだが、若者たちはこの崩れた社会で双方の信頼だけに依存した社会的担保も何もない結婚がそれを達成できるのか懐疑的だ。やめたいと言えば離婚できる権利が社会から与えられるような簡易な結婚では心許ないのだ。では信頼をどうやって築いたらよいのか、そこが聞きたいのに、そんなものは結婚した後にできるものだから勢いで結婚してしまえと著者は言ってしまう。それを実行して著者も結婚生活を一回失敗しているらしいから何とも頼りない説教となっている。
 このせいで著者の結婚観には矛盾が多く見られる。例えば「夫婦間コミュニケーションを巡る諸問題について」では「相手のことはわかりえない」と言うのに、「コップのふちから水をこぼさない努力――結婚を続けるには?」で相手の浮気に対しては、結婚前に相手の癖を見抜けなかった不明を恥じろと言う。わかりえない不明をどうして恥じなければならないのか。また誰と結婚してもだいたい同じと言いながら良い人を見抜いて結婚しろとも言う。だいたい同じではないから人によって離婚という失敗に繋がるのではないか。結婚後の愛情の衰退を心配する質問には、子供が生まれて親のポストに立ったら自然と愛情が生まれたという自身の経験談を交えて心配するなと言うが、他方では夫婦間におけるボスのポスト争いで離婚に至ってしまった思い出話を出してくる。これを聞いたらとても心配になる。政治思想に関しても左になろうとしてなり切れないフワフワした感じが出ていて、自由恋愛と家族形成における離婚は私事か社会問題かという論点も釈然としないし、戸籍も必要なのか必要ないのか言及する割にはハッキリしないし、全体的に何を言いたいのだか分からない。
 一貫して、愛は結婚という形で作れる(正確に言えば結婚した後で生まれる)という姿勢はあるようだが、最後にはやはり努力して守らなければならないような結論に達しているようでもあり、愛から結婚が生まれるのか、結婚から愛が生まれるのか、こちらもよく解らない。だから、まずは結婚してしまえという著者の論は説得力に欠ける。結局どちらにしろ愛は必要なわけで、できれば愛の作り方を具体的にレクチャーして頂きたかった。作ると宣言してやってしまえば何とかなるという楽観的な考えは(私個人としては嫌いではないが)、そうやってできた粗末な社会が現状の日本であることから考えると、そんな無責任なやり方はこれから先は通用しないだろう。
 つまり若者たちは結婚を重責だと捉えているのに著者は古い人だから軽く考えている。まるでこの本のように無責任にフワフワと。軽く考えているから結婚できる。「僕の看病をするために君は結婚するんだ」と言える著者くらい無神経な人ならこの本を読まなくても結婚できるのではないだろうか。
 
「もっと悩んでね。以上。」
 最後に短く本の書き方についてダメ出しをさせて頂く。解説や説教を書くときは、とにかく解りやすくしなければならない。この点において一番いけないのは論者自身がよく解らずに書いていることだ。
 誰でも読み始めてすぐに気付くと思われるが、この本には一章毎に題名が四つ書かれている。大きな章題を一ページめくると中題があって、質問者のQがあって、そこに小題がついている。一つの言いたいことをまとめるのが章であるのだから題名は一つにまとめた方がよい。Q&A型のhow to 形式で書くなら章題はいらない。そこで言いたいことは一つにまとめなければダメだ。あれもこれもそれも言いたくなり、散らかった論をまとめるために題名をつけて区別しようとする。その結果、綺麗によく解らない文章が生まれる。読者の悩みを煽る前に、著者はもっと悩んで推敲するべきだ。
 それから解説の引用に映画や小説の話を挙げるのもいけない。読者の結婚の悩みは現実のものだからだ。現実にはありもしない作り話を人生の解説に当てるのは読者に想定した女性をちょっと馬鹿にしているのかなという印象を受ける。著者の経験談さえ本当のことか真偽が判断できないようなものは避けた方がよいくらいだ。そういう話はいくらでも盛ることができるのだ。さらに言えば、読者と誠実に向き合うために、著者自身の結婚を具体的に書いた方がよい。馴れ初めからセックスに至るまで、それを読者に説教したいなら、自分のものを赤裸々に書いてはいかがだろうか。
 言葉使いは丁寧で文章は綺麗だし語彙量も多くてその点は素晴らしいが、たまに言葉の使い方を間違えている所も目立つ。パラドックスなどは論者が間違えるとそのまま読者に流行ってしまう危険な語なので気を付けなければならない。狼少年の引用なども少年がほくそ笑む結末は私が聞いた話とはちょっと違うようなので(私は原文を読んだことがないので正確な指摘はできないけれども)一般的な認識とずれがあるように思う。
 あとは著者独特の、いちいち社会的な考えに飛ぶ思考の癖が、結婚など具体的な問題の論考から脱線しているように見えて解り難いので、ぜひその点を消化して頂きたい。何よりも、結婚について特別な知識を持っているわけでもない著者がなぜこのような本を世に出したのか、無理に書かない方が若者の邪魔にならなくてよいだろう。

 
要約。
 はじめに(6p)
この本には「結婚すること、結婚を継続することの困難さ」が書いてあります。「結婚はいろいろたいへんだけれど、それが『ふつう』だから気にすることはないですよ」と言って気楽にさせるために書きました。

 こうすれば結婚できる(あるいは、あなたが結婚できない理由)
 「もっといい人」は現れません(6p)
 Qなかなかいい人が見つかりません。
  「迷っているなら止めなさい」は正しい? 
お見合いをさせてもうまくいかない。昔と違って今は「迷っているなら止めなさい」と母親が言うようです。でもビビビと来るような100%の相手と出会って結婚できるかどうか。
  結婚しちゃえばだいたい同じ 
男は社会においてピンキリですけれど家庭では劇的な差異は見られないのであります。母親たちはご自身の結婚が幸福じゃなかったせいで娘の結婚を無意識に妨害している。僕は18年父子家庭で育てた一人娘がどんな相手を連れてきても反対しないつもりです。
 どうぞ「ご縁」をたいせつに(4p)
 Q一生結婚できない人が増えていますが、どう思われますか?
  結婚は「病気ベース・貧乏ベース」 
結婚に条件をつける人はなかなか結婚できない。年収というような条件は長年クリアーできるかわかりませんから。結婚は神父さんの言うように「病めるとき」と「貧しきとき」を生き延びるための安全保障なんです。自分を高く評価せず、仲人口が持ってくる適当な相手に合わせて自己評価を下方修正するのがよろしい。
 「よい配偶者」の見きわめ方(9p)
 Qつきあっている相手と結婚する決心がつきません。
  海外旅行は結婚生活の「予告編」 
結婚候補者と一緒に海外旅行に出かけてトラブルへの対応を見ましょう。ハッピーのピークよりも「危機耐性」を見ておかなくちゃいけません。
 Q付き合っている相手が「よい親」になれるか心配です。
  家庭でも「ポスト」が人をつくる 
結婚してみないとわかりませんが、私は生まれた子に助けを求められて親の「スイッチ」が入りました。
 結婚は誰としてもいい(6p)
 Qいまの相手と結婚したら、ほんとうに自分らしく生きられない気がします。
  配偶者が変われば、あなたは別の人になる 
相手によって様々に変わるのが自分ですから、どれも「ほんとうの自分」です。
  恋愛は後戻りのできない道 
だから誰と結婚してもその良し悪しはわかりません。結婚はたった一つの後戻りできない「一期一会」です。
 葛藤が足りません、もっと悩んでね。(14p)
 Q友人によい仕事に恵まれず異性の出会いもまったくない人がいます。
  「つらさ」の見きわめが難しい 
仕事がつらいという身体的実感が「生きる力がひたすら衰えていく煉獄的状況」なのか「成長のために(生きる力を増してゆくために)必要な負荷がかかっている過渡期」なのかわかる人とわからない人の差が出ます。
  「つらさ」の意味が「わからない」人にはふたつのタイプがある 
ひとつは「それくらいのつらさは成長過程の自然」ということがわからなくて仕事を辞めてしまう人。もうひとつは「早く逃げ出した方がいい」という直感を信じずに仕事を辞めない人です。第一のタイプの人は転職離職を繰り返して、恋愛でも「ろくでもないやつ」と次々と恋愛関係になります。
  シグナルを聴き取るコミュニケーション感度 
第二のタイプは周りとのコミュニケーションに耳を塞いでいます。二つのタイプとも周囲のシグナルがうまく読めないという点では同じなんです。
  葛藤とは生成的なプロセスである 
一つの正解をすばやく決定することに固執しなければ矛盾が解けます。「どういう仕事をすべきか」「誰と結婚すべきか」もっと悩んでね。以上。
 
(以下9章、要点のみ)
 結婚するのはなんのためか?(27p) 
グローバル資本主義のせいで女性も働かされるようになり結婚が難しくなった。
特別に能力が高い人でなくとも結婚できるように社会制度のあり方を問わなければならない。
だから先のことなんか考えない異常な今の社会と戦うために結婚しようと考えるべきだ。企業は生産性を上げるために雇用を減らしている。
本来は国民が生活できるために経済活動があったはずだ。
であるから、今の結婚できない経済システムに順応しないで雇用環境の整備をめざすべきだ。現実にはまず結婚しちゃって共同生活から一人あたりの生活コストを下げてリスクヘッジするのが正解。お金がないなら結婚した方が生き延びる確率が高まる。
結婚は社会にとっても保障費のコストダウンにつながる。結婚した人は社会的に大人になれる。
結婚は幸せになるためにするのではなく、今より不幸にならないためにする。
昔は親族の相互扶助ネットワークがあってホームレスにならずに済んだ。
家族という相互扶助のため、幸福になれるかどうかわからなくても、セーフティネットとして結婚すればいい。

 結婚式はしたほうがいい(30p) 
結婚式というものは二人の生活がプライヴェートから公的なものになると誓言することである。結婚をしたら夫婦の性交渉までも公的に義務が発生する。
個人の性的欲求は生まれつきのもので制御できない。
宿命の出会いにだって相手に伝わるまでの時間差がある。
人が人を好きになる理由は誰も知らない。だから神頼みが重要。
自由を制約された状況に対処する合気道の男性は結婚に向いている。

 結婚と戸籍と姓(17p) 
当人同士の「愛と共感」を基礎に結婚を維持するのは無理。
離婚の備えをするような人は離婚する。
日本の戸籍制度を改めたければ戸籍制度がうまくいっている国を参考にするのがいい。
姓なんて固体識別ができればいい加減でいい。各自が呼ばれたい名前を押し通せ。
家族の一体感は姓の同一性によって担保されるものではない。適当にいてほしいと思える人が家族。

 結婚とは不自由なものである(25p) 
僕は失敗した1度目の結婚で結婚関係はどっちかが「ボス」になるものだと学習した。
「ボス」の権限は原理的に「経済力」に由来する。
夫婦が五分五分の力を持つと家事の分担についてトラブルになる。
結婚すると制約が増えるが、そうして人に頼られる生き方が楽しい。障害や抵抗に折り合いをつけてゆけばいい。
結婚も職業選択も電撃的な勢いで決めるものだから、責任と制約から逃れたいと思うような人には劇的なことが起こらない。
僕は家事や育児の生活をこなしていたら、いつの間にか大人の視点を手に入れて、子供では理解できない難解な哲学者レヴィナスの翻訳ができるようになった。関係がないように思える生活の経験も無駄ではない。
哲学は人生の重みで発言する大人の学問。
何をしていても無駄はないと思えれば競争の社会でもストレスを回避できる。
自分の本質だと思っているものは意外と脆い。むしろ、それが崩れたときのバランスの取り方に自分を発見できる。子供を持つとそういう考えが生まれる。

 他人とうまく暮らすには(19p) 
配偶者は自分と違うからよく分からなくて面白い。
毎日会話をしていると夫婦は似てくる。
世間の言う「愛の奇跡」とは同化への欲求だが、所詮わかり合えない二人が抱き合えることこそが「愛の奇跡」だ。夫婦に距離があってもそれでいい。
政治と同じで今はまだ完成されていない「不出来な結婚生活」も、将来の理想に合う形で小さな目標から「よりましなもの」にしてゆくしかない。
目標を高く掲げていつも不機嫌でいる組織では、機嫌よく暮らす未来は築けない。
家族の間に秘密があるのは当たり前のこと。それでも一緒に過ごすということが家族。

 夫婦間コミュニケーションを巡る諸問題について(29p) 
相手の愚痴は適当に頷いていればいい。どうせ同じような話の繰り返しだから。
しっかり報告を聞くタイプの人は相手の行動を疑っている。
家族の行動が合致しなくても「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「いってきます」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」「おやすみなさい」の挨拶が言えれば合格。
大事なことは相手を「よくわからない人」だということを前提にして関係を構築していく距離感である。誰だって自分のことさえわからない。
相手の看病をするときは相手のわがままを許すのがいい。
落ち込んでいる相手は褒めるといい。文脈に関係なく容姿を褒めてから才能を褒めると効果的。
セックスについても双方の趣向が完全一致するのは難しいので互いに寛容になるといい。
現代の性生活は脳内妄想の促進が主だが、もっと原始的に身体的親しみを求めることが必要だと思う。
相手のことがよく理解できなくても気にしない方がいい。

 家事という「苦役」について(17p) 
夫婦における家事の公平な分担は不可能なので、どちらかが全部やるか、気づいた側が適当にやるしかない。
「私は家事が好きだ」と宣言してしまえばそんな気がしてくる。
片付けは物を捨てること。
一年以内に使わない物はみんな捨ててしまえばいい。
相手には相手の考える実利がある。自分には理解できない物の配置は「鑑賞する」という立場に徹底するとよい。

 結婚してからのお金問題(7p) 
奥さんから小遣いをもらっている男は貧乏臭くなる。
お金がなければ合わせて生活水準を下げれば問題は起こらない。

 コップのふちから水をこぼさない努力――結婚を続けるには?(29p) 
自分の不調を配偶者のせいにしてはいけない。
「うまくゆかないこと」は相手に任せず少しずつ解消していくしかない。
倦怠期は相手のせいではなく自分の人生に飽きてきているだけ。自分を変えれば、世界が変わる。
義理の親を変えることはできない。諦めて遠い間合いを保つか、結婚前に相手の親子関係を見てダメだと思ったら逃げた方がいい。
浮気をできる人というのは進んで面倒を抱える「業の深い人」である。相手が浮気をしたら、そういう人と結婚したわが身の不明を恥じて、諦めるか、別れるか、どっちかしかない。
自分が浮気をしたくなったら、結婚は感情ではなく貞操を守る社会契約だと思い出せ。
国家は私事のためにある。国家理想のために国民が生きるのではなく、国民の生活のために理想的な国家が必要なのだ。たまたま生まれついた国への愛着は生活しているうちに湧く。
結婚も同じで、家族の絆も擬制に過ぎないが、生活を共にしていれば存続を求めるようになる。
結婚は、自分が落ち目のときに相手に助けてもらうセーフティネットである。相手に契約を履行させる力はないが、その絆を作る努力が結婚生活を支える。

 あとがき(2p) 
謝辞など。


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