酒井順子 「金閣寺の燃やし方」

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二下(意味レベル):論証が成立していない論文。さらに丁寧な執筆が仇になり。
弱2から3(感情ステップ):事件への好奇心と幸福論。

 
2010年。
著者:酒井順子、編集:講談社。
評論、38字×14行×257頁(題字章題8目次2白2他1あとがき2)。
構成スタイル:散文。
主張:記録(の様な何か、おそらく娯楽)。
ジャンルと要素:ノンフィクション、随想、推理、社会、人情、他。(全て水上勉と三島由紀夫の思考について)
 

「私は本書において、裏日本を体現する作家である水上勉の湿り気と、表日本しか見ようとしなかった三島由紀夫の乾き方とを比較しようとしている」(本書P.233)
 金閣寺放火事件に着目した二人の作家、三島由紀夫と水上勉。二人の目は同じ事件を見つめたはずなのに、二人の紡いだ小説は全く別のものとして完成した。二人はどうして異なる視点を持つようになったのか。そして事件の犯人である林養賢に何を見たのか。金閣を取り巻く三人の生い立ちから表れる人生観の相違を比較して、そこに戦後日本人の精神性を再発見しようと試みる評論の一冊である。
 その論旨は、日本には土地柄に表と裏があり、若狭湾という裏日本から京都という表日本へ上洛した養賢が金閣寺に放火した事件はまさに日本の表裏を象徴する事件であり、三島は東京という表から、対して水上は養賢と同郷の裏からこの事件を見つめたという。
 この論証を、長年エッセイストとして活動してきた著者の綺麗な文章をもって、明確な論拠や引用を元に中心人物の内面に迫ろうとするやり方は丁寧であり、丸で大学の卒業論文の指導を受けたばかりのように整った詰まらない評論に成っている。
 
「丁寧に、そつなく、中身が無い」
 文系大学で習う唯一の技術と言える論文の作成法は、論証の力を最大限に発揮するための構成の立て方である。先ず言いたい事を明確にして、その論拠を提示し、読者に説明する。さらに立派な学者は、読者から反論が出来るように解り易い説明を心掛けつつ参照文献などを丁寧に付記して返信を待つ。こうして方々から論文が集まり、学者たちは論文と論文のやり取りを通じて会話をするかのように議論を深める。
 詰まり、論文は誰かを説得するための物では無い。公共的な手紙のような物であり、どうやったら私の意見を社会全体で有効に共有してもらえるか突き詰めた形式に成る。インターネットの無かった古い時代では紙に書いて出版するか街頭で叫ぶしか公表の手段が無かったゆえに論文は生まれた訳だ。
 ところが文系大学を卒業した者なら知っている通り、体験入学のように一回だけ卒業論文を書かされる学生たちは、社会に言いたい事など全く持っていないのに論文の書き方だけを教わる。そうして中身の無い論文が数え切れぬ程の量で出来上がり、毎年誰にも読まれずに保管庫へと直送される。偶には素晴らしい内容の論文もあるかもしれないが、それも全て紙とインクのゴミに成るのだ。このように書き方の練習だけをして公に共有される事が無く、論文を書くという主客が完全に転倒してしまった論文もどきを練習させる日本の文系大学は全く無駄な指導をしている訳で、これはそう遠くない日に破綻するだろう。現在ならネット上にブログでも公開した方がアカデミックに有意義だし、議論を管理する者さえいれば、人類全員で作製している百科事典の『Wikipedia』や公開掲示板の『2ちゃんねる』など人類史上最高にソクラテス的アカデミズムを達成しているのに、学術的に低い評価を与えている批評家たちは各々の中途半端に古い権威と自尊を守りたいだけなのだ。

 本書『金閣寺の燃やし方』が詰まらないのは、社会に訴えたい事も無いのに評論を綺麗にまとめているからであり、日本の大学が目指しているように、丁寧に、そつなく、中身が無いからだ。
 挑発的なタイトルに見られる「燃やし方」について全く書かれていないし、内容も著者の研究の成果はほとんど無く、これまで多くの人が評論して来たものを集めて著者の発見のように振る舞い、そこに感想を付して終わっている。目的も無いのに若狭湾まで調査に出向いた内容などは、論文らしさを強調するだけで何も発見出来ていない。しかし調査を論拠として挙げているように見せるから、詳しく知らない読者は著者の妄想的な論説を信じてしまうかもしれない。
 その主な内容は水上勉の遺した言葉を鵜呑みにする事から成り立っていて、彼が暗いと言った若狭湾は行ってみたら住民が暗かったとか、それに対する三島は明るさばかり見ている人だとか、そんな著者の妄想に水上と三島の著書から都合の良い文章を拾って並べて見せるので、論文っぽい説得力が有りそうに仕上がる。
 しかし詳細に見れば確かな論証は無く、例えば水上が若狭湾を暗い裏日本と言うのは京都を表日本と捉えてそこに「かしづいている」からであり、東京の三島を表日本の人としてそこに当てはめるのは無理がある。東京が表日本である事に異議が出なくとも、東京人と京都人が双方を同じ表日本だと思うかどうかには疑義が出るだろう。出稼ぎ労働者の多い東京人が言う裏とは日本海の事であり、主従の「かしづき」よりも繁栄の度合いを見ているからだ。水上と三島を対比させるコンセプトに寄せて、水上が裏なら三島は表だと無理矢理に論じようとするこの強引な比較は重要な問題を孕んでいるので改めて後述する。
 その他も、郷愁と母性愛を求める感覚を同じだと論じたり、美的感覚と女性への求愛を同じだと決め付けたり、三島は理で物を考える人だから情を感じていないと断定したり、強引な見解を披露している。特に、三島の故郷は学習院と文学だと言うが、それは故郷と呼べる物では無いだろう。恋愛を美しいと言うのも、美しくない恋愛もある訳だし、東京は表日本だから情が無いと言い切るのも間違っている。
 これらは全て地方出身者である水上の貧乏ネタに起因するものであり、故郷の母に楽をさせてやりたいとか(「母と故郷」の章)、不幸な女に美しさを感じるとか(「美と女」の章)、都会は地方を食い物にしている無情な社会だとか(同じく「母と故郷」の章)、田舎者の同情を集めて著作を売る水上の宣伝を本著者の酒井が鵜呑みにしているのだ。その偏った見方では水上を論じられても三島を論じる事は出来ないだろう。
 そこに林養賢の精神分析を入れるのであれば仏教と僧堂生活について勉強しなければ成らない。「寺と戦争」では禅宗について、戒律を破って寺の運営をしている宗派に水上が憤る話だけを書いて、三人の仏教観の違いなどは研究されていない。ほとんど水上の紹介文のようだ。
 著者が水上の文章を好きだと発表する事は構わないが、その個人的な感想を論文の体にして説得力を持たせようとする悪あがきのせいで、多くの書棚の邪魔をする。論文の形式は持論の説得力を上げるためのものではなく、公共の理解を高めるためにあるのだと、出版する前に知っておいて欲しい。発表しない論文は無駄だが、発表に値しない論文を書く事もまた無駄なのだ。
 
「比較法のやり方」
 この評論は三島と水上の二人を比較する事から何かしらの意味を導き出せるのではないかと狙っている。ところがやり方を間違えているため評論が全く意味を成していない。著者は比較法の勉強をしていないのだ。
 解り易く、男女の比較を例に挙げよう。男性には目が有る。女性にも目は有る。同じく男性には肺が有る。女性にも有る。手も歯も好奇心も食欲も、片方に有る大体の物が双方に有る。では男性にあって女性に無い物は何か。ここで比較法が有効に成る。
 仮にそれは筋肉量の差かもしれない。筋肉に長けた男性は女性より運動量が多く攻撃的な精神性を持つと比較から導き出した場合、反証として、ひ弱な男性と逞しい女性を用意する事で筋肉量が逆転した状態による精神性の逆転を研究する事が出来るように成る。詰まり、逞しい女性は男性より攻撃的に成ると筋肉量の差から証明出来るか、という事だ。これが証明されるなら、筋肉の量が精神の凶暴性の要素だと判明するし、証明されなければ、筋肉量と凶暴性は何ら関係が無いと解る。
 この仮定に結論を言うと、ひ弱な男にも男性としての凶暴性が有るので、この関係は証明されない。もしも筋肉が性差を決めるのであれば、ひ弱な男は男性ではなくなってしまう。であるから、筋肉量の男女差に関係する精神性の特徴は無いと結論出来る。この結論から、自分は逞しいから男性なのだ、と誇っている男たちは総じて勘違いをしているのだと導き出せる。因みに長く研究されて来た男女差のテーマは、性器の相違による影響と、それに関係する生活文化の差異くらいしか証明されていない。
 これが比較法の恩恵である。詰まり比較は、概ね同じ物を比べて差異を発見する事から普遍の事象を証明する方法である。
 ところが著者は、全く違う二人の小説家の相違を並べて比較しようとするから比較法が成立しない。三島と水上は違う小説を書いた。これは当然の事ではないか。違う小説家が同じ小説を書く訳が無い。先の例で言うと、これは人間男性の体重と雌鶏か何かの身長を比較するようなもので、そこから何かが証明され得るとは思えない。詰まり比較法で重要なのは二者の相違点よりもむしろ共通性なのだ。共通が崩れた部分に比較が成立する、と言い換えても良いかもしれない。
 であるから、三島を「表」「上」「明」「理」として、水上を「裏」「下」「暗」「情」と相対させても、二人の人間が別人である事しか証明出来ない。それは当然の事だから、わざわざ製本して大衆に読ませるべき物ではない。この場合、逆に三島と水上の共通する部分を挙げて、接点の無かった二人を引き付けた金閣寺炎上の魅力を浮き彫りにした方が良かった。

 本書に限らず、長年の研究が自身の勘違いや勉強不足により何の成果も上げられない事は往々にある。そして研究の失敗という結果は実に苦しく受け容れ難い事実だ。しかし、学者は常々こう考えるべきではないか。これはまだ途上なのだ。私は未熟なのだ。成果はこの先にきっと有るのだ、と。
 しからば善くないのは下手に格好だけの結論を付けてしまう事だ。三島の明と水上の暗の感覚は我々日本人に有る、なんて本の体裁のために当たり前の結論で終わらせずに、もっと研究してから発表して欲しい。研究を続けていけば必ず社会に訴えたいと思える何かが見つかるはずだから。
 

要略。
 はじめに(10p)
 「あの物語」だったのか!(P.6-)
三島由紀夫は自身が生まれた時の「なごやかな光景」を覚えていた。水上勉は生まれた時の『おんどろどん』という「得体のしれない暗い音」を覚えていた。二人の全く違う作家が金閣寺放火事件に注目して、三島は「金閣寺」を、水上は「五番町夕霧楼」および「金閣炎上」を書いた。

 金閣寺(39p)
 義満と三島の金ピカ趣味(P.18-)
足利義満は金閣寺を建てて天皇になろうとした。三島由紀夫は金閣寺の金ピカに親しみを感じるように、華族に憧れて「上」を目指した人だ。水上勉は自身が「下」であることを誇っていた。
 なぜ金閣に火をつけたのか(P.32-)
林養賢の生い立ちから、水上勉は彼の放火の理由を、僧生活の将来に対して絶望感を抱いた後の破壊衝動であるとまとめた。新聞等の世間はまだ同情する余裕を持っていない時代だったので養賢の異常性ばかり追及したが、清水寺の住職は同じ僧の立場から仏教が導くべき社会を事件の背景に見ている。
 二人の作家が見た、全く異なるもの(P.47-)
三島由紀夫は養賢の「美への嫉妬」という点から彼に論理的一貫性を見ていた。水上勉は小説家としてまだ成功していない時に三島のその「金閣寺」を読んで違和感を覚えた。水上は貧しい生い立ちのせいで養賢と同じ臨済宗相国寺派の小僧を経験し、その苦境から逃げるように還俗(げんぞく)した経験から、「美」というカッコいい言葉よりも暗い「どろどろしたもの」が養賢にあったのではないかと同情している。

 母と故郷(75p)
 水上勉の故郷(P.58-)
水上と養賢が生まれた若狭湾は京都にかしずく裏日本だ。水上も養賢も京都の寺へ奉公に出されて、二人は会ったこともある。
 林養賢の故郷(P.78-)
養賢の故郷である成生岬は一本道のどんづまりにある閉鎖的な集落だ。父を失って村を出た彼と彼の母親は金閣寺の住職になる以外に行くべき場所が無い「行き止まり」の気持ちになっていたのではないか。水上勉と同じように愛する故郷を捨てなければならない感覚で、心の母を探し求めていたのではないか。
 三島由紀夫の故郷(P.93-)
三島由紀夫は祖母の夏子により母の倭文重から離されて過ごした。彼にとって文学はその才能を認めてくれる母との逢引きだった。東京に生まれ育った三島には故郷愛がない。祖父の本籍地である兵庫に三島由紀夫の記念碑が建っているが三島自身はほとんど無視している。三島にとって故郷と言うことができる場所は学習院という学校だった。華族にコンプレックスを抱いていた三島は学習院の上流階級の社会を愛していた気がする。
 表日本と裏日本(P.112-)
陽のあたる表日本を歩む三島に対して、裏日本を歩く水上は「(金閣寺放火)事件の真実について書くべき作家は、自分である」と思ったのではないか。養賢の放火は、水上からすると、裏の側からの捨て身の反抗に見えたことだろう。三島は理をもって表から、水上は情をもって裏から養賢へと近付いた。

 寺と戦争(41p)
 三島由紀夫の場合(P.124-)
徴兵から逃げつつも戦死に憧れた三島は、椿事を求め続けた末、変貌のない社会に「金閣寺」の主人公溝口のような絶望を抱いた。
 水上勉の場合(P.138-)
水上は輜重輸卒(しちょうゆそつ)という最も下の位の兵として五十日訓練した。「金閣炎上」では金閣寺で南京政府要人を「偉い人」として匿った事件を問題視している。自身が瑞春院の徒弟時代に和尚との食事における差別を経験して悔しい思いをしたからだ。
 禅というもの(P.150-)
絢爛豪華な金閣寺が余計なものを捨て去り自己と向き合う禅宗であるというのは矛盾だ。水上は仏教に影響されながらも禅宗に反発して還俗した。その経験から水上は、三島が金閣寺放火事件に自らの思想を充填した小説を書いたのに対して、実在の林養賢の脇に立つノンフィクションを書いた。

 美と女(43p)
 童貞小説「仮面の告白」(P.166-)
自身の童貞を偽る「仮面の告白」を生み出した三島にとって童貞のおわりは生死を賭した人生そのものだった。
 水上と養賢の「五番町」(P.177-)
一方、水上と養賢は五番町(遊廓)で童貞を捨てた。「五番町夕霧楼」はその体験に哀切を感じる物語だ。
 童貞喪失以降(P.192-)
「金閣寺」において溝口が五番町に行くように三島は愛のない結婚をしている。三島はもてない上に女嫌いで、水上はもてる上に女好きだ。水上はどんな醜女や不幸な境遇の女性にも美点をみようとして、三人の女性に子供を産ませ、二回結婚しても、他の女性が気になってしょうがない。
 美というもの(P.199-)
三島「金閣寺」は美が問題だ。日本的な美、同性に対する愛の美、絶対的な女性の美、母の愛という美も含まれていたのではないか。対して水上は「金閣炎上」で美を書かない。三島は金閣寺の上から観念上の美を見たが、水上は金閣寺を下から支える庶民の労苦に美を見た。

 生と死(32p)
 「生きようと私は思った」(P.210-)
三島が「金閣寺」の溝口を殺さなかった理由は「仮面の告白」を書いた後に「何としてでも、生きねばならぬ」と思ったからだ。彼の生は途中で死ぬことにより完成した。三島好みのキンキラキンの死に方は、身心ひきこもり状態の少年時代から外に出て太陽と握手をして、ボディービル等で体を鍛えるという生きる道を進んで心の中の井戸に入ることだった。
 「生きて、生きて、生き抜きたい」(P.227-)
水上は「死んだら負け」と言って長寿を望んだ。貧しさから大流行作家まで上りつめて命の貴重な甘味を知っていたからだ。対して三島はロマンチックな美しい死に病みつかれていた。
 三人の死(P.235-)
養賢は結核と精神疾患が進行した末に死んだ。三島は彼に同情や愛着をもたなかったが、水上は彼に限りない同情をもった。水上は肺炎により穏やかに死んだ。三島は「他人の中で晴れ晴れと死にたい」という「仮面の告白」においての言葉のように切腹した。

 おわりに(12p)
 「隠す人」三島、「見せる人」水上(P.244-)
三島は輪廻という永遠の生を望んで切腹した。三島由紀夫と水上勉はことごとく対照的な人生を送っている。三島は努力を積み重ねて上を目指す人。水上は下から目線で上を目指す人。三島は隠す人で、水上は開陳する人。戦後日本人は三島的「上」「表」「中心」を希求する視点と、水上的「下や裏や端っこ」から見る視点を両方持って、愛と憎とが絡み合う複雑な愛国心を形成している。
 荒野と汁田――日本人の二つの感覚(P.252-)
三島由紀夫の「金閣寺」、そして水上勉の「金閣炎上」「五番町夕霧楼」を読むと日本人の中の二つの感覚を知ることになる。三島は乾いた心の荒野に一人で佇み、水上は故郷の水はけの悪い汁田に浸かっている。決して交わらない。金閣は誰も本当には近づけない哀しいほどに孤独な存在だ。

 あとがき(2p)
金閣は相反する要素を共存させて今も魅力的だ。


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