小林多喜二 「蟹工船」

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三(意味レベル):主張はあるが書き切れていない。
1から4(感情ステップ):不快な上司、嫌な人生、それでも幸福を求めて、立ち向かう勇気を出す。

 
1929年雑誌『戦旗』に発表、1953年新潮文庫(68年改版)、及び2004年青空文庫。
著者:小林多喜二。
小説、64811字。
構成スタイル:ドラマ調、散文。
主張:扇動。
ジャンルと要素:私小説(個人の生活描写から時代や社会を表現する)、妄想(自作への感想)、社会(1920年代日本)、道徳(労働政策)、コメディ(中国人の共産勧誘など)、人情(敵対する上司)、冒険(登場人物の成長)、ゲーム(権力闘争)、官能(男性同性愛)、暴力(虐待)、ほか。

 
「日本共産党の宣伝」
 この小説は、昭和時代が始まった当時の日本共産党による活動の宣伝である。それ以外の何物でも無く、学問的価値なども無い。その内容を簡単に説明すると、会社で上司に苛められたら皆でストライキを起こして上司を困らせてやろう、というもので最初から最後まで喧嘩腰の小説だ。
 ここで社会だ共産主義だと言うと、また堅苦しい重苦しい面倒くさい批評が付くのではないかとウンザリ気味な期待をされるに違いない。なので今回はそれを裏切り、小説の労働者側の視点とは逆の、現代の経営者側の視点からこの小説を解説してみたいと思う。まずはこんな小話を一つどうぞ。
 
「経営してみた!」
 ある日、あなたはちょっとした資金を手に入れる。例えばそう、退職金。あなたの勤めてきた会社は入社した頃には良い評判で両親もそれは鼻高々だったのだが、十年もすれば経営陣が入れ替わり、見栄と資産運用ばかりにかまけていて、業績と社員は衰弱してゆくばかり。今や商品開発は下請け、もとい業務パートナー様に任せて、あなたは契約書と帳簿を眺める毎日に明け暮れていた。転職しようにも事務以外の技術は身についていないし、独立しようにも人脈なんてどこに流れているものか。しかしこのまま居たのでは退職金どころか自分の事業部が、さらには会社自体が存続出来るかどうかもあやしい。何より口だけ達者な同期が重役になって、それに自分がこき使われる明日が間違いなく来るようだ。そんな折ふと立ち寄ったファミレスで「フランチャイズ・オーナー募集」の張り紙が目に入ったとしよう。
 店長に話を聞いてみると、店舗は本社から貸し出しを受けて、仕入れから営業まで全てのノウハウを教えてもらえると言う。資本金は保険も含めて一千万円から、短期研修を受ければ二ヵ月後にはオーナーになれる。経営次第だが年収は今より確実に上がると言うし、中にはひと財産を築いて今では三店目を経営しているオーナーさんもいるらしい。何より自分で采配を振れるというのが良い。もうすぐ還暦を迎えるその店長が「孫にウチのカニチャーハンを食べさせたらそりゃ喜んでくれましてね」と笑顔で言ったのが印象的だった。よし、ここは人生を賭けて経営者になってみようではないか。
 研修を経て本社社員に連れて行かれた出店予定地は郊外だった。前経営者が失敗した居抜き物件だと言うがその分早く安く始められる。近所に競合店が無いので都会より経営は穏やかであり、朝は近所の爺さんにモーニングセットを出し、昼は婆さん連中にドリンクバーを出し、その時間帯は儲けにはならないがゆったりと準備が出来て、本番の夜と土日は周辺一帯の若者や家族連れの集客を見込める好立地だと言う。加えて近所に専門学校があるから「当たればでかい」と言われてその気になった。本契約を済ませ、内装工事が入り、最初の仕入れが高く付いたがこれは仕方ない。そしてアルバイトの募集をかけた、と。
 このアルバイトの応募がなかなか来ない。新装開店のスタッフ募集には給与を少し多めに設定するものだと言われたが周辺の相場にまで下げたのがいけなかったらしい。いよいよオープン日が迫って焦り出した頃に、一人のヤンキーが履歴書を持ってやって来た。彼の第一声は「あぁ?」である。「いや、だからね、どうしてここで働きたいと思ったのかって聞いてるんだけど?」「ああ、前の新聞屋クビんなって、寝ったらうちのオヤジ働けってうるせーし、他は駄目だったんで」と、どうせ雇うなら聞かなければ良かったような返事である。しかし他の応募者を待っていられるほど開店まで日が無かったのだ。
 案の定、初日から問題が起こる。あなたが店先に出て来店者に頭を下げていると、けたたましい爆音と共に暴走族がやって来て、あのアルバイトとハイタッチを始めた。「こら、ちゃんと頭を下げて」と言うあなたにアルバイトは「は? あいつらダチっスよ。俺が呼んだんス。テンチョーさん人いっぱい来てほしいっしょ? オープンだし。俺が声かけりゃここらへんのチームはみんな来るっスよ」と笑顔で答えた。この一件からあの店は不良の溜り場だと噂が町中を駆け巡り、メインターゲットの家族連れが寄り付かなくなってしまう。
 さてどうしたものか。きっかけをくれた店長(オーナー募集の張り紙があった店だ)に相談の電話をかけると、その店は先月潰れてオーナー一家は行方不明だった。なんと料理に虫が入って、その噂が広まり大赤字を出したそうなのだ。焦るあなたが厨房に飛び込むと、あのアルバイトはソースや食材の切れ端をそこら辺に垂らしつつ、料理を運び出す最中だった。アルバイトは忙しそうにしながら笑顔で「儲かりまっか?」と店長のあなたに聞く。「ぼちぼちでんな」と返すやり取りを期待しているようだった。
 これにはさすがのあなたも参ってしまい、ついに怒鳴り散らしてしまう。アルバイトはへそを曲げて裏口へ出ると煙草を吸ってサボり始めてしまった。こいつのケアもあなたがしなければならない。「おい、働いてくれよ。こっちは給料払ってるんだからさ」と出来るだけ優しく言ったあなたに、アルバイトはこう切り返した。
 「だいたい、なんスか、あれ。煮込みハンバーグ?」「煮込み。ああ、本社が考えた今月の新作だよ」「なんで焼いたあとにまた煮込むんスかね、わけわからん」「そうすると美味そうに見えるんだよ。その分高く取れるだろう?」「高く? 高くってなんスか? 普通のハンバーグが仕入れ税抜き498円で、1280円で出してるんスよね? 煮込みは598円で仕入れて1480円で出してんじゃないっスか。仕入れは100円高いだけなのに200円値上げすんのはボッてんじゃないっスか」「値段は本社が決めるからこっちで変えられないんだよ。それに100円はうちで煮込む手間賃じゃないか」「はあ? それなら、煮込んでんのは俺っスよね? 焼いて煮込んで、時給上がんねーのはオカシーんじゃね? こっちゃ手間が増えてるだけっスよ?」
 あなたはついに音を上げる。叫びたくなる。こんな事をやるために独立したんじゃない。今月利益を出さなければ店舗の賃貸料も払えない。その上このアルバイトの子守りなんざ御免だ。「そんなにこの仕事が嫌なら他へ行け明日から来なくていい」と怒鳴ったところでアルバイトの目が据わった。「俺クビにしたらウチのチーム総出でこの店潰しにかかるっスよ。前の経営者ん時みたいに」
 居抜き物件である事は聞いていた。そして当たればでかい専門学校生がどういう客質なのか知らなかった。経営者は自分の好きなように采配を振れるものだと思い込んでもいた。利益は自分のものだとも思っていた。あなたは落胆してしまうだろう。その姿を見たアルバイトは満足そうに言う。「まあ、俺ら仲良くやるしかないんスよ。おんなじ船に乗った運命共同体っス。煙草吸ってチョット気分なおったし、仕事しましょ仕事。ほらほら、カニチャーハンの注文入るっスよ」
 
「日本の共産活動」
 では、上の小話から日本の共産主義について解説しよう。
 主人公の「あなた」は所属する会社からの独立を考える。これは江戸幕府からの独立をイメージして書いた。江戸の運営は無能ばかりになってもう行き詰っていた。そこで独立するわけだが経営のノウハウを知らない。なのでフランチャイズ契約に飛びついてみる。これは明治政府が政治や社会を欧州に真似た事を表してみた。明治政府はこれで資本主義的な社会へ日本を新生出来ると高を括っていたのだ。ところが民衆は思った通りに動いてくれない。むしろ勝手に動いてしまい、政府が望むような発展には寄与してくれないわけだ。これが上のアルバイト君である。
 この事態を相談しようと他店(他国)に問い合わせるのだが、そこには虫が湧いて、民衆の噂により既に組織が潰れている。日本政府は天皇を担ぎ出して、西洋の立憲君主制を実現したかったのだが、それを真似し始めた矢先に欧州では君主制が打倒されていた。虫のように湧いた思想家や革命活動家は民衆の間に社会主義や共産主義の噂を流し、政府や君主への信頼や憧れを失墜させる。これでは経営者はたまらない。
 そこで日本政府はそれらの思想家たちが湧き出るのを虱潰しにしていく。政府にとって幸いな事に後追いの日本はまだ民衆が革命を望むような時期ではなかったので、西洋の活動家を真似する者が現れたら一人ずつ制裁していけば対処出来たのだ。ここに飛び出してしまったのが『蟹工船』の作者、北海道で開拓の精神を培った小林多喜二である。未熟な日本政府の政治には開拓の余地が沢山あるのだから、それを見たら鍬を挿して掘り返してみたくなったのだろう。武士から政権を奪い取った日本政府は商人や農民の労働者階級から役人を採用したので、その役人が行き成り威張りだして私腹を肥やしているのを見れば、同じ農民として許し難く思ったに違いない。
 さて上の小話では経営者がアルバイトに怒鳴ってしまい、ついには辞めさせようとする。これは少し優しく書いてしまったが、小説にあるような「労働者への恫喝」と同じである。日本政府による共産主義者への虱潰しだと見ても構わない。経営方針を理解してくれない者を排除したいという、逆に言えば排除されたくないなら従えという、威圧だ。アルバイト君は意外にも経営を少し知っていて金銭の運営方法に疑問を呈している。しかし経営者は全体経営が行き詰まるかどうかの瀬戸際にあり、時給を上げるなんて考えられない。日本の経営が安定していないのに、労働者を一々満足させられる状況ではないのだ。小説には「日本帝国のために」という言葉が度々出てくるが、本来は「全体経営が最重要課題である」という意味だ。ところが労働者からは「国家体制に従わない労働者は切り捨てる」といった風に曲解されてしまう。国家が潰れてしまったら給与どころではないというのに。
 それでもアルバイト君は大人しく引き下がってはくれない。何しろアルバイト君から見ればこの地方に出店してきたあなたの方が余所者なのだ。資本を盾にあなたが威張ったとしても度胸だけなら負けない自信が地元の不良たちにはある。こうしてアルバイト君は地元民(といってもヤンキー仲間だけだが)の結束を武器にして経営者のあなたに労働条件の向上を交渉するのだ。これが日本における共産活動である。
 上の小話をアルバイト君視点で書けば『蟹工船』と同じ話になる。今回は経営者視点で書いたので両方を読めば視野が広がるのではないだろうか。勿論、読者のあなたがどちらの視点に共感するかで結末の印象も大分違ってくるだろう。
 
「多喜二の聖人化」
 小林多喜二はマルクスやエンゲルスが書いた「社会を経営するための本」をそれほど勉強していなかったようだ。共産主義や社会主義の本質については良く解っているわけではない。だから彼が革命の柱となって日本政府を打倒する事が出来たとしても、その後どう経営して行けば良いかという構想は明確に持ち合わせていなかった。
 それは小説の終わりがストライキを起こせば済むという形で終わっている事から分かる。仕事をサボるだけでは上司を困らせる事が出来ても会社の運営は出来ない。自分が経営者になったらやはり「サボるな」と言わなければならないのである。小説で労働者たちがやっつける事に成功したのは浅川監督という中間管理職だけである事から、多喜二の敵は政府ではなく、直属の上司である役人だという事も分かる。蟹工船に乗らなければ生活出来ない立場であるから会社(国家)を潰したいとまでは考えていないようだ。あくまで労働条件の改善が彼の活動の最終目標という事になる。
 これが現在の日本共産党にまで影響する。つまり日本の共産党は共産主義による社会の成立を目指しているわけではなく、労働組合を作って役人に対抗するのがその目的なのだ。むしろ共産主義が何かを知らない党員の方が多いのではないか。本気で共産主義に傾倒する者と、この労働組合の恩恵を受けたいだけの者とに生じる摩擦は、日本共産党が分裂と統合を繰り返して未だに団結出来ない大きな要因となっている。本気でやっているものは政府の打倒まで目指しているが、多喜二を信奉する者はそこまで求めてはいないのだ。
 この問題点も小説からうかがい知る事が出来る。蟹工船の乗組員は浅川監督にいびられ続けて恨みを抱くが決して蟹漁に不満を抱いているわけではない。そこは納得して船に乗り込んでいるのだ。彼らにとっての問題は常に浅川監督との事で、会社の経営を詳しく知っているわけではない。小説では最終的に浅川が監督の役を失敗した結果、会社から解雇されている。その時、浅川は「俺ア今まで、畜生、だまされていた!」と会社を信頼して利益を上げようと必死になっていた事を後悔し、真に悪いのは会社だという方向へ結論を持っていくが、どこをどう見ても悪いのは浅川の性格である。彼が労働者を大切にすればそれで問題は起きなかった。会社の方だって労働者と問題を起こさずに利益を上げてくれる有能な管理者を求めていたはずだ。
 蟹工船の労働者も回りくどい。浅川を殺すか、彼に酷使されて殺されるか、どちらかだと分かっていながらどうして浅川に手を下さないのか。事故に見せかけて海へ放り投げてしまえばそれで済む話ではないか。蟹工船が法律の行き届かない僻地であるという条件は、法定を無視して過労させられる労働者にとっても、浅川監督にとっても同じなのだ。浅川にやられる虐待は、やり返しても問題にはならない。会社は蟹さえ上がれば監督などどうでも良いのだから。
 しかし多喜二は小説の最後の最後に取って付けたように「組織」「闘争」「――この初めて知った偉大な経験」と共産主義の反政府運動へと格好を付けてしまう。若さゆえにちょっと粋がり過ぎてしまうのだ。こうなってくると政府にとっては多喜二の目指した社内改善程度の問題ではなくなってくる。会社が潰れてしまう事態にもなりかねない。それは資本主義だとか経営者の傲慢とかは全く別の問題で深刻になってしまうのだ。
 最悪な事に、この後、多喜二は政府警察から不当な暴行を受けて死んでしまう。まさに浅川監督に殺される蟹工船の労働者の図だ。死して聖人になった多喜二を信じる者たちは悪の政府と戦う正義をも信じてしまう。本当は浅川監督のような悪人を潰せば済む問題であるのに、労働者対経営者(民衆対政府)の軋轢を後世にまで残してしまうのだ。さらに政府はこの後に太平洋戦争へと強引な舵を切って国を敗北させてしまうから、もう何が正しくて誰が悪いのか分からなくなってしまう。大日本帝国の政府が悪かったとしてもそれで共産主義が良い事にはならないし、逆もまた然りであるけれど、双方は敵対し続ける運命を背負ってしまうのだ。
 今でも一つにまとまれない貧弱な理論の共産党と、政府と必ず敵対する姿勢と、多くの国民が何だかよく分からない理由は、こういった背景から来ている。現状の、共産党支持者が未だに敗戦を反政府の主張にしている姿や、共産主義の暴走が恐ろしいと知っているはずの老国民に、テレビで見た現政府が気に入らないからと言って共産党に一票入れてやれという奇行が目立つのは、日本共産党の起こった最初からそういう存在であったと言えるのだ。ちなみに多喜二の私刑を指令したのは、日本共産党界隈から執拗にバッシングを受ける現首相と同じ、安倍という人であった。
 
「小説は下手」
 では最後に短く文章についての批評をする。その出来は良くないと言える。
 お話に一貫した主張があり、虐げられる労働者が上司に立ち向かう感動のようなものは多くの人に伝わるのではないかと思うが、如何せん結末が悪い。物語の後にストライキをした労働者が蟹工船で帰港したとして、給与などはどうなったのか、会社との交渉の内容が明かされていないため小説の結末が良く分からない。
 前述した通り、共産主義については何も書かれていないため、活動だけを促されても論じられる学問が無い。共産活動を伝えるならこれは必須の内容であり、作者の勉強不足は否定出来ない。中盤は繰り返しや無駄な描写が多く、同性愛などはまるで要らないし、文章構成もはっきりしない。登場人物も誰が誰だか分からないし、船の全体像も掴み難い。内容は過不足だらけである。
 事実を元にして書かれた割にはフィクション性が強いのも問題だ。なかなか風呂に入れないのは労働環境として劣悪であるが、部屋が汚いのは当人たちのせいである。作者は何でも汚く描けばいいと思っているようだが、共産主義と汚物は関係無いし、嫌われる労働者の方にも非がありそうに見えてしまう。むしろ体が汚いのは働かずに地下潜伏している共産活動家の方であり、漁師は船の掃除くらいするだろう。北洋が荒れる描写は筆がのり過ぎて、本当は大型客船なのに小型漁船のように揺れているのもおかしい。そもそも蟹漁は大金がもらえるから乗り込むものであり、一攫千金を狙う漁師は共産主義とはあまり縁が無いものだろう。蟹工船で上司からの虐待事件があったのは事実だが、それは会社の経営方針というより個人的なイジメだったのではないかとも思われる。
 表現も分かり難いものがある。例えば二章の船が大波に襲われる場面で「船の片側から他の側へ暴力団のようにあばれ込んできて」と書かれたりするが、「暴力団が波のように」なら分かるが「波が暴力団のように」と書くのは変だろう。暴力団は色んな暴れ込み方をするはずだ。全体的に文章はちょっと下手だと言わざるを得ない。
 総括するに、この小説は日本共産党の初期資料と言う外無いだろう。文学的な価値や思想や社会を学べる内容は無い。この小説を若者に薦める人がいるなら、その人は勧誘活動をしている共産党員で間違いないと思われる。



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この記事へのコメント

  • 部屋が汚いのは当人達のせいであるという一言に痺れました。
    2017年05月22日
  • 批評界の管理人

    日本語は色々な意味が込められて深い味わいになりますね。

    部屋が荒れると心も荒んでしまいます。
    2017年05月28日

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