時は戦国。乱世でござる!

今週は木下さんの『宇喜多の捨て嫁』でした。


「時は戦国。」
何が大変かと言いますと・・・

書評アップの土曜日が始まった時点で
書き出しの、この五文字しか
原稿が書けていなかったのです。

時は戦国。・・・
時は、戦ごーくー・・・

大変だ。間に合わん。

頭が乱世。


さて、感想です。
これまで批評してきた中で最も酷い小説は
西加奈子さんの直木賞受賞作『サラバ!』です。
『宇喜多の捨て嫁』はこの時の候補作でした。

文藝春秋に対する不信感というのは
近年、膨れ上がっておりますけれど
作家たちが時代を掴み損ねているのか、
はたまた編集の者に悪意があるのか、
もしも後者であるならば
僭越ながら私めが拾わせて頂きましょうと
思ってこの本を取り上げたのでした。

東野圭吾さん、選評で
「面白いという点では候補作中随一だった」と
「一体どのようなケチがつけられるのだろう」と
私の期待を煽ってくれたのですが・・・。
おや、
ケチ以外につけようがないのだけれど
これはどうした事でしょう。

最近の作家の特徴的に悪いところと言えば、

たとえこれを言ったらあなたに嫌われるとしても、
それでもあなたに伝えたい事があるんだ!

というような主張が一切無いこと。
何で言いたい事も無いのにダラダラ書くのか。
好かれようとする執筆の努力は怠らないのに
嫌われようとする勇気の育成は怠ってしまう。

その程度の覚悟で戦争が書けるのでしょうか。
宇喜多を描けるというのでしょうか。

なんだ東野さんもそっちなのか。
勝手に期待したこちらが愚かなのですが
今回それがよく解かりました。

私は思います。

なんでも批判する奴は確かに嫌われますけれど、
なんでも褒める奴よりは良いです。
それが怖くて黙っている奴よりも良いです。

褒めるのは簡単なんですよ。
なんでもかんでもどうでもイーよね。
私の事をイーと言ってくれるのはイー奴だね。
気持ちイー、だからイー、楽観主義サイコー。
つまり批評を失うという事は
みんなが仲良くなれるという錯覚を伴って
麻薬的に人を駄目にしてしまいます。
何も考えなくなってしまう。

こういう事を書くと読んだ人、特に若い人は
自分が責められていると感じるらしいのです。
違うんですよ。
悪いのはあなたじゃない。

良い事が悪いんだ。

それを、
作家がそれを言わなくて誰が言うのさ。


褒めて褒められて餌までもらえるなら
誰だって私だって尻尾振り振り犬になりたい。

だけど私たちは人間に生まれてしまったから
人間だから
乱世と戦わなければならないのでしょう?


こんな事を書いてあなたに嫌われるとしても
私はあなたのために言う。

あなたも、きっと

私のために言ってくれる。


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