いとう せいこう 「ノーライフキング」

itou.jpg三上(意味レベル):題材はレベル七相当。執筆が未熟なせいでよく解らない作品に落ち込んでしまった。
2から5(感情ステップ):コンピュータへの好奇心、幸福の将来、諦めて我慢、迎える孤独。

 
1988年本書。
著者:いとう せいこう、編集:新潮社、装幀:藤原カムイ。
小説43字×17行×187頁(前書き1目次2タイトル1白1他1含)+あとがき2頁。
構成スタイル:サスペンス形式、並びにドラマ調。
主張:啓発。
ジャンルと要素:私小説(1980年代)、サイエンスフィクション(コンピュータ社会)、ホラー(情報化社会と噂)、社会(ネットワーク)、人情(友達)、青春(小学生)、冒険(少年達の戦い)、ゲーム(RPGビデオゲーム)、暴力(いじめ)、ほか。

 
「ノーライフキングは生きている」
 1980年代、少年達は夢を見ていた。色彩の豊かなあらゆる絵画よりも、高名な建築や多様なファッションよりも、暗い自室のコンピュータ画面に映し出される、たった数色の発光体の中に鮮明な世界を見た。時に、それは王だった。または敵であった。そして冒険をした。少年達にとってそれは、もうドット絵と呼ばれる光の羅列ではなく、確かに感じた「世界」だったのだ。
 小学四年生の少年、まことはディスク対応型コンピュータ「ディス・コン」の冒険ゲームソフト「ライフキング」に熱中する一人だった。彼の母親まみ子は息子に買い与えたこのゲームの内容を理解出来なかったが、少年特有の想像豊かな感受性を刺激する娯楽の一つだと思っていたし、仕事にもコンピュータを導入しているまみ子にとって特別に不安視すべき遠い未来の技術でもなかった。しかし誰も気づかぬ間に、この無機質なビデオゲームはまるで生き物であるかのように少年達の精神に巣食ってネットワークを構築していた。少年達は「ライフキング」を攻略するために面識の無い1000人を超える友達と電話で攻略情報を交換し合っていて、それは全国に巨大な情報網となっていたのだった。
 ある日、事件は起きた。少年達は情報網からライフキングには非公開のバージョン違いがある事を知り、探し求める中でバージョンⅤ「ノーライフキング」が存在するという噂に翻弄されてしまう。ノーライフキングはたった一度の挑戦に失敗しただけでクリア不可能になり、ゲームの呪いがプレイヤーと家族を死に至らしめるというのだ。それから少年達は身の回りに起こる事件とノーライフキングとの相似を見つけて噂が本当であると信じ込んでしまう。少年達が「命懸けの冒険」に洗脳されている事実を知った大人達はライフキングをその手から取り上げようとするが、少年達は自分達にしか見つけられないノーライフキングをクリア出来なければ人類を守れないと覚悟して、決死の抵抗を試みる。
 少年達は夢を見ていた。冒険をして、悪と戦い、ライフキングになる夢を見ていた。はずだった。確かに当時の少年達はコンピュータゲームに夢中になっていた。少なくとも大人達にはそう見えていた。だが、本当にそうだったのだろうか。少年達の目に映っていた夢とは一体、何だ。
 
「無機質なコンピュータの世界。生活の無い社会」
 さて、この物語をどう読んだら良いだろう。攻略に失敗したら命を取られてしまう「呪いのゲームがあなたを襲う」などとキャッチコピーをつけたらまるで低俗なサイエンスホラーになってしまう。その本性は子供達を駆け巡る「噂」が化け物のようになって人々の生気を吸い取る不死の骸骨王だったのだ!と、表向きはそう読めない事も無い。または道徳にしてテレビゲームはやめましょうとか、くだらない情報から子供達を守りましょうとか、「そっち」に持って行く事も出来る。
 しかし、それでは「ライフキング」が何だったのかが分からない。当時流行していた任天堂の『ファミリーコンピュータ』(通称ファミコン)とデータの書き換え可能な拡張機器「ディスクシステム」で稼働する『ゼルダの伝説』や、または社会現象とまで言われた『ドラゴンクエストⅢ』のようなゲームソフトを小説のパロディにしているだけだろうか。それなら小説で死に至るとされる「ノーライフキング」とは何だろう。ファミコンのドラクエをやると人生の時間を無駄にしてしまうという揶揄だろうか。むしろ、そういうコンピュータを敵視した見方が噂として流れ、それを信じていたのは大人達の方ではなかったか。少年達は一体何を見て何と戦っていたというのだろう。
 小説を読み解く重要な要素は二点。一つは母親のまみ子がコンピュータを使って仕事をしている事。そしてもう一つは主人公のまことが塾に通い、そこでコンピュータから出される試験問題を解いている事。つまり、小説のテーマはコンピュータの社会侵食である。
 当時、コンピュータゲームに夢中になる少年達を見て世間の大人達は「ゲームの部分に中毒性があり問題だ」と勝手に思い込んでいた。だから子供達に対して「ゲーム禁止」だとか「ゲームは一日一時間まで」などと制約を課した。しかし少年達が本当に魅力を感じていたのは「コンピュータの部分」だった。だから少年達は外で日が暮れるまで野球に熱中する事を止め、親の目を盗んでまで友達とテレビゲームの野球をするようになっていた。野球というゲーム性は同じでもコンピュータを介する事にこそ魅力を感じていたのだ。
 どうしてそこまで少年達はコンピュータに興味を持ったのか。この小説ではその理由を、少年達の未来社会がコンピュータに支配されるからだと示唆している。少年達も最初は娯楽だと思ってゲームにのめり込んでいた。しかしその魅力を解いて行くうちに、これを解けなければゲームを終わらせる事が出来ず、人々がコンピュータの魅力に支配されるだけの無機質な人生に陥ってしまう事を直感するのだ。現在の社会を見てみると分かり易い。どの職業においてもコンピュータの操作は必須であり、もうコンピュータと人の重要度が逆転している職種もある。コンピュータの指示に従って人間が動かされているのだ。小説の主人公まことは毎日分刻みのスケジュールを正確にこなし、同じタイミングで青信号の横断歩道を渡り、決まった時刻の電車に乗って、到着した塾の自分専用のコンピュータの電源を入れ、コンピュータの出題する試験問題に定められた時間で回答し、その正答率を100%にしてコンピュータとシンクロナイズする事を望んでいる。この生活を振り返る事から、社会は既に巨大コンピュータと化していて、自分がそれに支配された一部であると気づいてしまうのだ。
 つまり、コンピュータゲームにハマったのではない。最初は少年達もそのつもりであっただろうに、ゲームをしていたらいつの間にか、社会を支配するコンピュータに人生がハマっていて抜け出せない現実を知ってしまった。少年達は追い求めた「ライフキング」の中で、コンピュータの世界の中に人間を封じ込めて人生を支配してしまう、「ノーライフキング」の姿を見つけたのだ。そして少年達の「こっち」側の視点は大人達の「そっち」からは理解が出来ない。大人から見た少年達はゲームに夢中だったはずだった。少年達も自分がこの魅力に抗えない問題を解く事が出来ない。自分だけがコンピュータの電源を落として逃げたとしても、ノーライフキングによる社会のコンピュータ化は止まらないのだ。この問題の攻略法を見つけられない少年達は追い詰められてゆく。それはすなわち人生をコンピュータに支配されてしまうのと同じ事だった。コンピュータゲームをクリア出来ずに死んでしまうゲームの主人公そのものだったのだ。
 大人達は少年達を「リアル」な世界に戻そうと考えてゲームソフト「ライフキング」を取り上げてしまう。そして未来社会の攻略を試せるライフキングを奪われた少年達は将来の手掛かりさえ無い「暗黒迷宮」に突入する。果たして、リアルとは何だ。コンピュータと化して攻略の出来ない社会の一部となり、決められた通りに稼働させられるプレイヤーになる事なのか。少年達はそこで最後の抵抗を思いつく。引きこもるのだ。人生を投げ打ってノーライフキングの社会に抗い続ける事を、ゲーム内の裏技「ジバク」と銘打ち、一人一人が自分の一度切りの失敗人生の情報を「賢者の石」という攻略データにして情報網に遺して逝く。戦いだ。大人達は冒険から戻らない子供達を見て「遠くに行かないで。あなたたちのためなの。ママのそばにいてちょうだい!!」と叫ぶ。しかし少年達は今新しいリアルと戦わなければならなかった。まことは、いつかこのリアルをクリアしてくれる未来の主人公のために賢者の石へメッセージを込めた。「オオサワ マコト 10サイ ワスレナイデ ボクハ イキテイル」
 
「書き直すべきだ!!」
 いつものように小説の出来を見ていく。
 とにかく作者の見つけた題材が素晴らしい。これは2009年ハリウッド映画界から世界を沸き立たせた『アバター』と同じテーマだ。ビデオゲームに夢中になる若者達。現在も未だ解決していない引きこもりの問題。さらに最近ようやく認知され始めた過労死の問題や、コンピュータが作り出す巨大な社会ネットワークの行く末について、作品の提起する問題は『アバター』より深い。1988年のファミコン時代にここまで見抜いてしまっていた作者の心眼が恐ろしい。この「批評界」では意味レベル七を狙える題材であると改めて感じる。それ故に小説の完成度が非常に悔やまれる。
 まず、問題の大きさがこの小説からは理解し難い。巷のホラー小説を模したようにわざと振る舞っているため、多くの読者にその一派だと思われてしまう可能性が高い。どうしてわざと模したのかと言えば社会がそう捉えていた当時の流行を表現したかったからだろう。すなわち現実の世間は「ファミコンにハマって人生を棒に振る少年達」という噂を流して親達を恐怖させていたので、そんな大人のホラー視点を小説設定の下地にして、その状況に行き惑う少年達の姿を描いた。しかし大人の視点と子供の視点の混在は、大人の視点だけで読みたがる者に子供視点を理解させる機会を見失わせてしまう。結局、変な噂に惑わされた未熟な子供達のお話にも見えてしまうから、小説の捉える大きな問題について着目されない。
 この執筆の弱点をさらに根深くしてしまうのは小説の結論だ。少年達はいつの間にか目覚めた正義のために引きこもる事を選んでしまうが、どうしてそれしか方法が見つからないのか、その説明が無い。少年達は社会に影響をもたらしてしまう程のネットワークを持っているので、少年達全員が問題意識を共有しているのであれば、コンピュータに従属してしまう社会の問題をひっくり返す事さえ可能なはずだ。つまりノーライフキングは攻略出来そうだ。しかし現在、引きこもりの方法を取っている者は大勢いて、彼らには一緒に戦う仲間がいないのだ。巨大ネットワークで繋がり合いながらも孤独であるという複雑な状況を、大人達から理解されないというだけではなく、子供達同士も互いに隔離してしまう描写がほしかった。
 ノーライフキングが誰かに作られたゲームであるというのも良くない。その制作者に攻略法を聞いてしまえば解決出来てしまえるようにも思えるし、制作者が表に出て来ないのも社会問題としては不思議だ。ここは、少年達がライフキングを改造していくうちに誰も攻略法が分からなくなってしまう設定の方が良いだろう。1988年の作者と少年達にそれを要求するのは気まずいが、今だからこそ言える批評の視点で言わせてもらえば、書き直すべきだと思う。
 文章の構成もこの失敗に絡んでくる。少年達がライフキングのバージョンⅠからⅤまで攻略していく過程を各章に分けて書かれているが、解り難いし緊張が緩む。つまり作者も娯楽として書いているのではないかという構成に見えてしまうのだ。ライフキングの内容と現実との相似を描かなければならないために順を追って行くのは理解出来るのだが、例えばゲーム内の敵ファッツと現実の校長の突然死とを掛けて「ファッツ倒れる」と章題を打っても、読者にはその深刻が伝わらない。小説をどう直したら上手く行くのか見当もつかないが、新しい構成技法を編み出して何とかしなければならない。また文章自体は綺麗で読み易いのに、特に終盤、執筆にノッて来ると読者を置いてきぼりにして走り出すのも困惑させる。例えば少年が「なりたいもの――コンピュータ」と言うのは、内容を知った上で作者と同じスピードで読めれば少年が将来コンピュータ社会に融合すべく塾通いしているその儚さに感動出来るのだが、理解に遅れてしまうと少年達の言葉がもう全く解らなくなってしまうのだ。どうしてコンピュータになりたいと思うのか。作者の思考が早過ぎるので、読みながら同時についていける人はいないだろう。
 肝となる四章「お葬式」では、お葬式ごっこをしていたら本当にお葬式をしているような気持ちになってしまい、自閉症のさとるがその恐怖からヒステリーを起こしてしまう。それをなだめる兄あきらは「楽しいからやるって言ったのに、泣くのはおかしいね。悲しいのに、すぐ直るのはおかしいね。人間だからわからないね。人間だからわからないね」と言葉を掛ける。これまでの解説を読めば、バーチャルとリアルを行き来する人間の不思議を説いている台詞に見えてくると思うのだが小説では解り難い。そしてこの一文が解らないと後半に涙を流す少年達の苦悩も解らなくなってしまう。読者のこちらも必死について行っているつもりだが、作者にもこちらを配慮する優しさを求めたい。スピード感は感動に直結するので遅らせるわけにいかないのであれば、せめて遅れるこちらの手を引いていってはくれないだろうか。
 加えて、小説のサービスになる少年探偵団のような雰囲気や、真犯人かのようにミスリードさせる小山洋太という人物の描写などは丸々削るべき。返って小説を混乱させてしまうだけだ。こういった少しのミスが互いに絡み合って全体をよく解らない物にしてしまうのは大変に勿体無い。作者の小説技法が成熟していたら物凄い傑作が生まれたのではないかと思うと本当に残念だ。初見でよく解らなかったという人は、ぜひ解説を頭に入れた上で再読に挑戦して頂きたい。見逃していたあの言葉この言葉がきっと感動に訴えてくるはずだ。

 繰り返しになるが、本当は1988年の人にこれらの改善まで要求する方が間違っているのだろう。インターネットも普及していない時代にこんな作品を生み出してしまった。驚愕に値する先見なのだ。だからこそ今なら書き直せるだろうし、また書き直す価値のある作品であると思う。まだ生きている。「ノーライフキング」はまだ生きているのだ。

 
要約。
(前書きP.1)
 一九八〇年代後半、日本の子供たちが一斉に何かを乗り超えようとしたあの年。子供同士が持つ情報網は巨大化し、ショートする日を待っていた。「ノーライフキングが、その情報網の上を静かに通り抜けた時、彼らは、確かに王の姿を見た。」
ライフキングの伝説
NOW LOADING (P.7-)
 授業が終わると、大沢まことは無駄のない走りで喫茶店により、塾「あすなろ会」の予習をするのが日課だった。当時、子供たちの間では「ライフキング」というゲーム・ソフトが爆発的に流行っていた。ライフキングにはⅠからⅣまでのパターンがある。まことは母親のまみ子と二人暮らしで、まみ子は電話回線で送られてくる小売店の売り上げデータを解析してアドバイスをする仕事をしている。まことは自分の持っているライフキングが希少なⅢであるのを、まみ子に見てもらいたかった。まみ子はゲームの内容を理解できなかったが見ていると、ど忘れした攻略法を友達に聞くと言ってまことは電話をかけ始めた。電話で攻略法を伝えあう友達は1000人いるという。まことはその友達からライフキングにはⅤがあるという噂を聞く。Ⅴは失敗すると攻略できなくなるバージョンだという。
あすなろ会特進クラス4
STANDBY OK (P.30-)
 まことはデジタル腕時計に合わせて一分の違いもなく、いつも通りに電車に乗り、塾に着いた。塾はライフキングⅤの噂で持ちきりだった。Ⅴからは「ノーライフキング」という呪いのバージョンが生まれ、それがクリアできないと家族まで死ぬという。塾のコンピュータから出される試験問題を解きながら、まことは札幌校の小山洋太と通信する。洋太もノーライフキングの噂を知っていた。まことは「コワイケド トカナキャシヌカラ ガンバリマス」と送信した。
ファッツ倒れる
VISION Ⅰ-1 (P.40-)
 翌朝、黒見山小学校の朝礼でもノーライフキングの噂がささやかれていた。あきらの弟さとるは軽い自閉傾向があるが、ゲームに対する洞察力が高い。太っていていじめられっ子のカッちんや、天然パーマで得意の「ギョエー」を連発するみのちんも噂の話をしていた。太っている校長先生は「問題はディス・コン・ゲームだ!!」と大きな声を出した途端、脳溢血で死んでしまった。その言葉はノーライフキングの最初の敵ファッツの台詞と同じだったのだ。
VISION Ⅰ-2 (裏ワールド) (P.47-)
 子供たちを駆けめぐる噂は経済にも大きな影響を与える。「七色戦士プリズマン」に呪いの噂が流れれば子供たちはプリズマン消しゴムを捨てた。そして子供たちが噂に飽きてしまえばそれで熱は下がっていく。
お葬式
VISION Ⅱ-1 (P.55-)
 まことの塾には噂を聞きつけたライターの水田が調査に来た。まことたちはプリズマン消しゴムのお葬式と、みのちんのなかなか死ねないシニベタなおじいさんのお葬式をしようと思いつく。お葬式ごっこはだんだん本格的になり、みのちんが思わず泣いてしまい、さとるは怖くなってヒステリーを起こした。
裏メディア
VISION Ⅲ-1 (P.92-)
 水田はまことの家にまで取材に来る。水田はまことの家のファックスで、トレンディ・キー・パーソンの森井と通信する。森井は子供たちの噂に共通するのは死のイメージだという。
ノーライフキングは生きている
VISION Ⅲ-4 (P.111-)
 まことは札幌の洋太から返信をもらう。「ノーライフキングハイキテイル」
VISION Ⅳ-1 (P.116-)
 マスコミは子供たちに広がるデマとして噂を批判した。そして、ノーライフキングのゲーム機を取り上げるディス・コン禁止キャンペーンが拡大した。
賢者の石
VISION Ⅴ-1 (P.125-)
 あきらとさとるはノーライフキングの攻略を進めている。さとるは主人公のライフキングを守るハーフライフが自分たちなのだと言う。子供たちへ迫る「ライフキング狩り」の中で、さとるはゲームに没入して自滅していく子供たちが、ジバク攻略をしているのだと気づく。
暗黒迷宮
VISION Ⅴ-5 (P.145-)
 水田は洋太を直接取材に行くが彼は普通の子供だった。森井はゲームと戦う子供たちを「新しいリアルと戦う史上最年少の人たち」と応援した。まみ子もまことのことを理解できなかった。子供たちは自分自身を込めた「賢者の石」という攻略アイテムを作ろうとする。酒屋のみのちんは酒に溺れるようになってしまい、カッちんは自分の賢者の石が作れないと泣く。カッちんのライフキングは「TASUKETE」の八文字を打って終わった。賢者の石ができないあきらは「僕たち戦う資格ないね」と言った。まことは祈りを込めて「オオサワ マコト 10サイ」と打ち、部屋に閉じこもり続けることを決めた。彼らはみな、確かに無機王の姿を見たのだ。
あとがき (P.188-189)
 『無機王』と書いたメモを『ノーライフキング』と読んだ時、この物語が降りてきてしまった。いとうせいこう


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