ヴォルテール 「カンディード」

vortel.jpg四(意味レベル):作者の狙いは当時の社会に当たった。今、日本人が読んでも笑えはする。
1から4(感情ステップ):不快、嫌悪、不幸、苦難。

 
1759年発表、1956年日本語訳岩波文庫。
原題『Candide, ou l'Optimisme』(カンディード 或は 楽天主義説)
著者:Monsieur le docteur Ralph(ラルフ博士)を名乗るVoltaire(ヴォルテール)、日本語訳:吉村正一郎、編集:岩波書店。
小説、43字×16行×172頁(タイトル2目次7白3含)+註5頁+解説11頁。
構成スタイル:ドラマ調の小噺と散文による、批評(社会、宗教、哲学)。
主張:啓発。及び、記録(1700年代欧州)、学問(宗教哲学)、攻撃(論敵へ)、娯楽(民衆へ)。
ジャンルと要素:空想(最悪)、社会(戦乱の時代)、サイエンスフィクション(エルドラド)、倫理(人道と非道)、道徳(生活、身分、資産)、コメディ(登場人物の悲喜劇)、人情(助け合い罵り合い)、青春(若者の希望)、冒険(西洋全土)、ゲーム(最善対悲観)、暴力(惨殺など)、ほか。

 
「とんでもない社会批判」
 最善説を教えられた主人公カンディードがそれを素直に信じるまま楽天的に、近世ヨーロッパ支配の地獄を旅して、最終的な答えに到達する喜劇的悲劇的冒険小説。「カンディード」は「素直」という意味のフランス語であり、彼がその様に馬鹿馬鹿しく不幸に突っ込んで行く姿を笑って眺めつつ、そこに描かれるユーモラスな悲劇が全て史実を下地にしていることに驚かされつつ、この人間世界がいかに愚かなのかを再認識するための風刺である。
 内容はヴェストファーレン条約に至る三十年戦争に巻き込まれるところから、リスボン大地震やジェズイットの戦争や露土戦争などに巻き込まれ、惨殺、乞食、奴隷、強姦、伝染病、飢餓、異端審問、放蕩、などなどあらゆる不幸をポジティブに経験することで、主にヨーロッパにはびこる教会と宗教哲学者の論説を馬鹿にしまくるという、良い意味でとんでもないものになっている。
 中世のあらゆる悪をごちゃ混ぜに風刺しているので、一つ一つを取り上げて分析していくと、そのまま中世史の研究ができてしまうほどの情報量であるが、作者は悪い面だけを列挙して喜劇的に表現しているので、この小説を一筋縄で批評することは出来ない。しかしこの分かり易い馬鹿馬鹿しさは、民衆に受け入れられて絶大な人気を得ることになり、当時の学者や宗教家への批判に直結したのは面白い結果であり、わざと酷く書いているように見えてあながち的を外れてもいない、と歴史に証明されている。哲学者らは確かに難しい問題を深く論争していたのではあるけれど、民衆からすれば、その御大そうな論説で戦争の一つでも解決できてから最善説など唱えてくださいよと、そういう気持ちであったのだろう。
 内容の成否はともあれ、読者はこれを読んで笑うにしろ考えるにしろ相当の知識がなければ真に楽しめない。特に現代日本人には理解が難しい内容なので、中世の勉強に疲れ飽きた頃に、肩の力を抜いて「素直に」読むのが宜しいだろう。
 
「最善説」
 さて、そのぶっ飛んだ小説のテーマは最善説を軸とする。これはとても難しい概念で、今日もまだ世界を悩ませているので、軽く解説しておく。
 これを最も簡単に言ってしまうなら、「世界は善くできている」と考えることである。例えば、あなたが酸素を吸って二酸化炭素を吐く。その二酸化炭素がそのままであればあなたは死ぬ。しかし世界は空気が流れていて、それは植物に届いて光合成により酸素に変えられて、またあなたに吸われる。そうして、あなたも食物も生きている。これは最善の形が整っているからであり、もしもバランスが崩れてしまえば世界は息苦しくなる。仮にバランスが崩れた時でも世界には自浄作用があり、動物が増え過すぎれば植物は減り、ひいては動物も数を減らして、そのうちまた元に戻ってゆくと考えられる。これは神様が地球を作った時からある「最善の状態に向かっていく原理」だと言えるだろう。これをもって「最善説」と説く。
 だから地球上にバランスの悪い状態があって、人々が二酸化炭素の増大に苦しんでいたとしても、広く見渡せば植物に必要なものが溜まっているのであり、世界が最善の状態に戻るには不可欠な要素ということになる。人間にとって苦しいからという理由で二酸化炭素を消滅させてしまえば、植物が最善まで増える可能性も消失してしまう。ゆえに、人の苦しみもまた最善要素の副産物や一部であると考えられるだろう。つまり息苦しいほど、植物が増えるから、もっと命の広がる世界の可能性があると考えるのだ。日本で排気ガスを垂れ流している分、アマゾンでは豊かな森林が生い茂るのかもしれない。
 この考え方を発展させていくと、もっと奇妙なものになってゆく。すなわち、いくら苦しくとも世界は最善なのだと言う。例えば、戦争が起きて人々が苦しんでいる、だから世界は何かそれに見合う幸福を作ってくれているはずだ、などと考える。神様は世界を作った時点で生命が生きる最善の状態になるように作ってくれたのだから、世界はきっと善くなってゆくに違いないのだ。仮にヨーロッパが最悪の状態ならば、エルドラドのような理想郷が存在するはずだ。たまに、外国人が日本旅行に来て、いつもは信じてもいない仏教寺院で座禅体験などをさせられて幸福そうにしているのを見ると、こいつら馬鹿なんじゃないかと我々は思うのだけれど、彼らは外の世界に幸福の可能性を求めているわけである。逆に日本人の海外旅行もまた然り。
 この概念が特に悪さを発揮するのは、小説にも挙げられる通り、宗教との親和性の良さだ。サンクスギビング(Thanks Giving.小説内の謝肉祭がそれだ)という考え方があるように、世界は神様が人間にくれた贈り物だと考える西洋宗教では、つまり最善の状態になってゆく原理が神様の力だと考えられている。逆に言うと、最善説を信じない輩は神を信じない不届き者となる。神様は素晴らしい贈り物をしてくれたに違いなく、だから地球世界は善い物に違いなく、これを悪く言う者は神を信じていないことに等しく、西洋宗教の敵になるのだ。ましてや、ここが地獄などと言うのはもっての他だろう。だから地球上に起こる全てのことは、または人間が引き起こす全てのことも、彼らは善だと考える。人を殺しても、物を盗んでも、強姦しても、何をしても辻褄を合わせて、それは善の一部になってしまうのである。こうして悪事にも何かと理由をつければ、何でもやって良いことになってしまう。例えば、アメリカ軍はいつでも世界平和のために世界中で戦争を起こしている。アメリカの善し悪しの話ではなく、私たちは戦争を抑えるために戦争が必要であると、どこかで論理を合わせてしまっているのだ。そして我々は、それで良い、もしくは仕方ないと、何となく思っている。
 というわけで、この最善説は世界中に蔓延していて、そこかしこに戦争やら飢餓があっても我々は幸福になれるものだと信じているし、どうして幸福が信じられるかと言えば、さしたる理由もなく「幸福になってほしいから」という楽天的な考え方をしてしまう。この小説はそんな我々に対して、現実を見なよ馬鹿じゃないなら、と言ってくれているのだ。
 
「誤解も多いので注意」
 最後に小説の出来について。完成度は、あまり良くない。
 そもそも無理矢理に悪い状態を集めて滅茶苦茶に表現している小説、というより野次のようなものなので、ヨーロッパ全体を馬鹿にする面白さ以外はこれといって無い。それで現代においても真面目な人たちからの評価は低いのだが、こういう社会批評の馬鹿馬鹿しい面白さとは何かと考えていたら、現代日本ならビートたけしに行き当たる。テレビ朝日の番組『ビートたけしのTVタックル』などは同じ方向性で、社会批判を相手の揚げ足取りから行い、最後は冗談で締め括る。こういう解り易いものを民衆が好む姿勢は、二百年前のヨーロッパでも、現代日本でも変わらないのだろうし、学術的に大した成果でもないが民衆にはウケたという理由も想像しやすいのではなかろうか。
 ただし、視聴者である我々は一つ注意しなければならない。一見、世の悪(政治家やら宗教家やら)を退治してくれる正義のように映ってしまうかもしれないが、あくまで揚げ足取りをしているだけであり、これが政治や議論の主体になれるわけではない。『TVタックル』は国会議事堂でやっているわけではないのだ。『カンディード』も主人公らは最後に、自分の畑を耕すことが大事だと目覚める。論説ばかりに集中していないで、自分の仕事をしなくちゃいけないね、という結末になる。この小説より後の時代、主義主張の戦う大戦争時代へと世界は転がり落ちてしまうが、そういうことになってしまうのが悪いのだと、この小説は言っているのであり、読者各自の正義のための論評にこの小説を引用してはいけない。
 この岩波書店の文庫カバーにも、ヴォルテールはルソーとともにフランス革命を推進していて、カンディードは働く喜びを次第に体得してゆく、などという間違いが書かれている。社会主義やら共産主義を持ち込むにはまだ早い時代の小説であり、そういう主義主張に持っていったら小説の良き馬鹿馬鹿しさが台無しになってしまう。バライエティ番組の捉え方を間違って本気になって見ているようでは、恥ずかしい思いをすることになるだろう。

 
要約。 
第一章
 ウェストファリア(ヴェストファーレン)の領主ツンダー・テン・トロンクの城館にカンディード(単純な)という名の若者がいた。彼の母は領主の妹で、相手の家柄を気にして嫁がなかった。領主の家柄は素晴らしく、奥方は豊満、息子はあらゆる点において非の打ち所もなく、娘はキュネゴンドという名の魅力的な姫だった。一家は哲学者のパングロスから教えを受けていて、カンディードは世界が可能な限りの最善であるという彼の論を信じて疑わないのだった。
 カンディードはキュネゴンド姫と恋に落ちて領主の怒りを買い、城を追い出された。
 
第二章
 一文無しで放り出されたカンディードは、兵隊にたぶらかされて、ブルガリア連隊の奴隷兵士になってしまった。足に鎖をつけられ鞭打たれてブルガリア式を叩き込まれた。自由に出て行こうとすると処刑されそうになった。
 ブルガリア王はアバリア王に対して戦端を開いた。
 
第三章
 カンディードは戦場を逃げ出し、両軍に惨殺された死体の山を越えて、オランダにたどり着いた。それでもカンディードはこれまでの結果も全ては神の決めた必然で人間には致し方のない最善へ向かっていると疑わなかった。そしてキュネゴンド姫のことを思った。
 大きな集会で慈善について広舌をふるう雄弁家に、法王をキリストの敵だと思うかとたずねられ、とにかくパンが欲しいと答えると、「お前にパンを食べる値打ちはない」と追い払われた。
 それを見ていた再洗礼教派のジャックという男がパンとビールと金と仕事を与えてくれた。カンディードは「なるほどパングロス先生のおっしゃったとおり、この世はよくできている」と思った。翌日、汚い乞食に遇った。
 
第四章
 乞食はパングロス先生だった。王家はブルガリア軍によって皆殺しにされ、キュネゴンド姫は兵士に辱められて腹を裂かれて死んだという。しかしアバリア軍も隣の領内で同じ事を仕返したので仇はとってもらった。パングロスは侍女のパケットから梅毒をもらい、この梅毒は元をたどるとコロンブスがチョコレートと一緒に持ち込んでくれたもので、両軍にも蔓延したのでパングロスは助かった。
 ジャックから治療費を出してもらい、パングロスは片方の耳と片目を失っただけですんだ。ジャックは人間の悪事は神の作った自然を逸していると言うが、パングロスは不幸も善のための要素だと言って聞かない。
 
第五章
 カンディード、パングロス、ジャックは船に乗ってリスボンに向かう途中で嵐にあった。人のよいジャックは船から落ちそうな水夫を助け、身代わりに溺れたが、水夫はジャックを見殺しにした。カンディードは恩人ジャックを助けようとしたが、パングロスはそれを止めて、リスボンの入り江は再洗礼教徒が溺死するように特にできているのだとア・プリオリに(この運命は決まっていたのだと)説明した。
 生き残った三人がリスボンに降り立つと大地震が起こった。水夫は「俺はバタヴィア生まれ。四度も日本で踏絵を踏んだ船乗りだ」と言って略奪を始めた。パングロスは町の人々に、「この地震は人々の原罪に神が怒ったのではなく、必然的に起こった最善の結果である」と説いて捕まった。
 
第六章
 リスボンの賢者たちは、異教徒を神への生贄として火刑に処すことで、地震を止めようと決定した。異教徒たちが火炙りにされる最中、異教を説いたパングロスは絞首刑に処され、それを賛成顔で傾聴していたカンディードは説教と鞭打ちの後、赦免された。そしてまた地震が起きた。「これが可能な限り最善の世界なら、これより酷い世界とはどんなところだろう」
 すると一人の老婆が寄ってきてカンディードをつれて行った。
 
第七章
 老婆につれて行かれた先にはキュネゴンド姫がいた。
 
第八章
 キュネゴンドは一家を殺され、ブルガリア兵士からの強姦に抵抗して左脇を刺され、その隊長の愛人になって生き延び、三ヶ月もたつと飽きられてドン・イサカールというユダヤ人に売られて、この別荘で贅沢な暮らしをしていたが、好色の宗教裁判長の目にとまり、週を半分ずつ交代でシェアされているという。その宗教裁判長に罰せられたパングロスとカンディードを見て「やめないか、野蛮人!」と言いたかったが「これはいったいどうしたことでしょう」としか言えず、パングロスの教えた「神の作った間違いの無い世界」なんて嘘なのだと悟ったが、その上でカンディードと再会させてくれた神様を讃えた。
 そこへ、ドン・イサカール氏がやって来た。
 
第九章
 「このガラリア(キリスト教の地)の牝犬め。宗教裁判長殿だけでは足りないのか」と言って短刀を引き抜いたイサカールを、えいっと一閃。カンディードは大そう大人しい性格であったが、刺し殺してしまった。その時、ちょうど日付が変わって宗教裁判長がやって来て現場を見られたので、敏速ただひと突きに、彼も殺した。「おや、またやった!」うろたえるキュネゴンド姫にカンディードは「恋をしたり、嫉妬をしたり、宗教裁判で鞭打ちにされたりすれば、自分で自分がわからなくなるものですよ」と諭して、老婆と三人で逃げた。宗教裁判長の馬に乗って。
 宗教裁判長は立派な教会に、イサカールはごみ捨て場に葬られた。
 
第十章
 旅の途中、キュネゴンドは聖フランシスコ派の神父に金品を全て盗まれ、一行はベネディクト派の僧院長に馬を安く売り、スペインのカディスに落ち延びた。そこではイタリアのジェズイット派を討伐する兵隊を募集していたので、カンディードはブルガリア式の教練を見せて隊長の職を得た。その軍船の中で将来に希望を持つカンディードと、これまでの不幸を思い出して懐疑的なキュネゴンド。二人に老婆はもっと不幸な人生を語り出すのだった。
 
第十一章
 老婆は法王とパレストリナ王女の隠し子だった。婚約したマッサ・カッラーラの君主が愛妾に毒殺され、それから海賊に捕まって正しく奴隷にされモロッコに連れて行かれ、そこで海賊と黒人の戦争に巻き込まれ、彼らは一日五回マホメットへの祈祷をかかさずに人を殺すので、その死体の山からはい出て近くの小川で気を失ったところ、去勢された白人に強姦されそうになったのだった。
 
第十二章
 老婆は昔話を続けた。白人は元パレストリナ女王お付きのカステラートで、あるキリスト教国がモロッコ貿易を独占するために武器を輸出して戦争を起こさせるために遣わされ、使命を終えたからイタリアへ連れて帰ってくれると言った。ところが行き先はアルジェで、太守に奴隷として売られ、そこでペストにかかって醜い顔になり、奴隷たちはチュニスの商人に売られ、それからトリポリへ売られ、アレクサンドリアへ売られ、スミルノへ売られコンスタンチノープルに売られ、そこの将軍に買われてアゾフの露土戦争に巻き込まれて兵糧攻めにあい、飢餓から片方の尻を切られて食われ、フランス人の医者に弄ばれて、捕虜となってモスクワで開拓をさせられ、逃亡してロシア中を酒場の女として渡り歩き、ユダヤ人ドン・イサカールの家で女中になっていた。
 そして老婆は、今この船内の誰に聞いても、自身が世界で一番不幸だと思ったことがあるはずだ、と言った。
 
第十三章
 その通りだった。乗客の全員から不幸話を聞いて、カンディードは賢人パングロスがいたらこの厭世的な人々にも納得のいく最善の説明をしてくれるのに、と思った。
 一行はブエノスアイレスに到着し、総督のイバラーのフィグエオラのマスカレネスのランプールドスのスーザのドン・フェルナンドに謁見した。その時スペインから宗教裁判長殺害の追っ手が上陸し、老婆の知恵により、カンディードは一人責任を負わされて逃げるのが最善ということになった。
 
第十四章
 カンディードはツクマン国(ブエノスアイレス北西)出身の混血土人カカンボを従者にして、彼の提案で、敵方のジェズイットの兵士になって稼ぐためにパラグアイに向かった。そこは神のために神父が全ての金を巻き上げる理性的な国だという。その宗教はここで人を殺し、ヨーロッパでその懺悔を聞く愉快なものだから、ブルガリア式教練を知った人材はきっと重宝されるに違いない。
 カンディードが謁見したジェズイット軍の神父兼軍曹は何とキュネゴンド姫の兄だった。生きていたのだ。
 
第十五章
 キュネゴンドの兄はブルガリア軍に襲われ一家惨殺された時に、ジェズイットの神父が埋葬のためにかけた汚い聖水で息を吹き返し、僧院長から同性の寵愛を受けて司祭となり、ここに大佐として派遣されたという。カンディードは一緒にキュネゴンド姫を救い出して結婚したい意志を伝えると、身分違いも甚だしいと殴られたので、咄嗟に剣を抜いて刺し殺してしまった。カカンボの提案から、大佐の法衣で変装して逃げることになった。「神父大佐のお通りだ!」
 
第十六章
 ここでハムなど食ったら文芸評論家に何と言われるか。道中、二人の丸裸の娘が猿に尻を噛まれている場面に出くわした。カンディードは猿を撃ち殺して娘を救ったつもりだったが、猿は娘の恋人だった。カカンボは言った。「猿は四分の一人間ですよ。私が四分の一スペイン人なのと同じように」 それを聞いてカンディードは思った。「ああ、ギリシャ神話でも雑交から半獣半人の神が生まれていたっけ」
 この事件から二人は現地の大耳族に捕まり食われることになった。カカンボが通訳できるというのでカンディードは「人間を料理するなんて非人道きわまる恐ろしいことは、キリスト教徒としてもってのほかだ」と忘れずに伝えるように言い、カカンボは彼がジェズイットを一人殺してきたばかりなので大耳族の味方だと説明した。これで二人は助かることになった。人生は不思議とうまく行くようにできている、全ては善だ。
 
第十七章
 二人は大耳国を出てさまよい、馬も倒れて食料も尽き、原住民の小船を拝借して流れに身を任せたら激流に飲まれてエルドラドに着いた。ここは地面が黄金と宝石で、全く違う世界だったが、やはりカカンボが通訳できた。カンディードはここが善の国(ヨーロッパの不幸を清算する最善の世界)なのだと思った。
 
第十八章
 ヨーロッパではこの国の無価値な石ころや泥のために殺戮が行われている。それにこの国には、教えたり、議論したり、支配したり、陰謀を企んだり、意見の違う人間を焼き殺したりする、あの神父というものがいないという。二人は一ヶ月ほど幸福に暮らしたが飽きてしまった。ここの石ころを持ち帰れば世界一の金持ちになってキュネゴンド姫も取り戻せるのだ。
 
第十九章
 二人の帰路は楽しかった。道中、宝石を載せた赤羊は次々と倒れ、残りは二頭になってしまったが、それでも二人はまだまだ金持ちであった。カンディードは木の幹にキュネゴンドと書いた。「この世の富ははかない。やはり愛ほど確実な幸福はないな」
 二人はオランダ領スリナムで逃げられないよう片足を切られた奴隷に遇った。この人たちのお陰でヨーロッパでは砂糖が食べられるのですよ。彼は両親から白人へと奴隷として売られる時に、神に感謝して幸せにおなりと言われた。「おお、パングロスよ! あなたの楽天主義もこれまでだ」とカンディードは叫んだ。「楽天主義って何です?」「それは不幸な目にあってもすべては善だと言い張ることだ」
 港でキュネゴンド姫が総督の愛人となっている事実を知ってカンディードは泣いた。自分がのこのこと助けに行けば縛り首にされて金もキュネゴンドも取られてしまう。そこでカンディードはカカンボに姫の身請けを上手くやってくれるように頼み、ヴェネチアで再会することにして別れた。早速カンディードはオランダ商人に頼んでヴェネチア行きの船を調達したが、財宝を載せた二頭の羊だけ取られてしまった。裁判所に訴えると、話を聞くだけでも金を取られた。
 失意のカンディードは身辺に残った財産で一緒に旅をしてくれる身の上不幸な友人を求めて広告を出した。応募者多数の中から家族に迫害されているという貧乏学者の男を選んだ。
 
第二十章
 この老学者マルチンとカンディードはボルドー行きの船に乗り込んだ。マルチンはソチン(神の力は奇跡ではなく実利にあると冷静にみる)教徒だと罵られてきたが実はマネス(世界には悪もあると冷静に考える)教徒だという。カンディードは「善いこともある」と言ったが、マルチンは「あるかもしれないが、わたしは善に出会ったことがない」と言った。この議論の最中に、三マイル向こうの海でスペイン船とオランダ船が交戦しているのが見えた。一隻が沈没して船員は阿鼻叫喚の波にのまれていった。マルチンは「ほうら、ご覧なさい。人間とはこういうものです」と言った。そこから赤い羊が泳いできてカンディードが救い上げた。沈没したのは財宝を載せた羊をカンディードから奪ったあのオランダ船だったのだ。カンディードは「どうです。罪が罰せられる運命だったのです」と言った。マルチンは「確かに悪者を罰したのは神様だが、他の乗員を巻き込んだのは悪魔の仕業ではないですか」と議論は平行した。ともあれ、カンディードは羊を撫でながら「お前を取り戻したからには、キュネゴンドもいずれ取り戻せるだろう」と思った。
 
第二十一章
 二人は議論を続けた。これから向かうフランス(作者の活動地)という誰もが憧れる自由の国があるということについて。マルチンはパリに行ったことがあり、あそこは快楽を求めた混沌で、まともな人間などいやしないと言った。それなら神はなんのためにこの世界を作ったのかとカンディードが問うと、マルチンは「われわれを気違いにするためです」と答えた。カンディードは「人間はいつも嘘つきで、ペテン師で、不実で、恩知らずで、泥棒で、弱虫で、移り気で、卑怯で、焼餅やきで、大食いで、酒飲みで、欲深くて、野心家で、血を見るのが好きで、人をおとしいれ、道楽者で、偽善者で、そして馬鹿だと思うのですか」と聞くと、マルチンは「鷹はいつでも鷹です。それなら人間だっていつでもどこでも同じ性質です」と答えた。「いや、論旨は自由の精神のことであり……」とカンディードは食い下がって決着しなかった。
 
第二十二章
 ボルドーで馬車をととのえ、羊を科学アカデミーに寄贈した。アカデミーでは懸賞金を設けてこの羊が赤い理由をAプラスBマイナスC割るZという式で追究していた。
 宿屋で出会う旅人がことごとくパリへ行くというので、カンディードも寄ってみたくなった。行ってみるとウェストファリアの一番汚い町のようだった。カンディードは指に大きなダイヤモンドをはめていたので、疲れから病気になると頼みもしないのに医者が二人つき、親友という者や、世話をしたがる女が現れ、病状は悪化した。死後の説教をする神父までもが金を請求しに来た。マルチンがそれらを追い出すと回復し、療養中に立派な人々を晩餐に招いてカードに興じると相手は皆イカサマ師だった。
 ペリゴール出身で外国人に世話をするのが好きな修道士たちの一人に連れられて観劇に行った。彼はあらゆる作品に難癖をつけて飯の種にする三文文士だった。マルチンの言うには、この国の社交は、生きて綺麗な間は腹の内で怒っていても笑顔でつき合い、死ねばゴミ捨て場に捨てるのだという。ありとあらゆる矛盾と不調和がある。つまらない演目でも女優が可愛かったのでカンディードは挨拶がしたいと言うと、ペリゴール修道士は言葉巧みに女優とは関係のないサロンに連れて行った。カンディードは女主人に言われるがまま不実へと導かれてダイヤモンドを取られた。
 キュネゴンドのことを思い出して修道士に打ち明けると、翌日には近くまで来ているから会いに来てほしいとキュネゴンドから手紙が届いた。この可憐な手紙。カンディードは早速会いに行き、顔も見せないキュネゴンドにダイヤを渡すと、折りよく警官が現れて捕まりそうになった。つまり修道士の罠だった。警官にもダイヤを渡して逮捕を免れ、とにかくこんな国を飛び出したい一心でカンディードとマルチンはノルマンディーに出た。
 
第二十三章
 「この世界はどういうところなのか」とカンディードは言った。「気違いじみた嫌なところだね」とマルチンは答えた。「イギリスも気違いの国ですか」とカンディードが聞くと、「ちょっと種類の違う陰気な気違いだ」とマルチンは答えた。
 一行は船に乗り、ポーツマスに近づくと提督の処刑が行われていた。どうして処刑されるのかと問うと、この提督は人の殺し方が足りなかったのだという。群衆はそれを見て満足して帰っていった。「この国では他の提督を励ますために、ときどき一人殺した方がいいのです」とマルチンが言った。カンディードはこんな国に寄りたくないと思い、進路をまっすぐヴェネチアに変えさせた。
 
第二十四章
 ヴェネチアにキュネゴンドとカカンボは来ていなかった。もう諦めろというマルチンに対してカンディードは目の前のテアト派の僧と女が楽しそうに抱き合っているのを見つけて、まだ幸福はあると言った。マルチンはその反対に賭けた。
 女はパングロスに梅毒をうつした侍女のパケットだった。彼女は梅毒で城を追い出された後、助けた医者の妾になって正妻からいびられ、その夫婦のいざこざに巻き込まれて裁判沙汰になり、今度は裁判官の妾になって、それから娼婦になってヴェネチアまで流れてきた自分を世界一不幸な女だと言った。
 僧の名はジロフレー。テアトの修行場など嫉妬と不和と怒りの棲家で、お布施をもらっても僧院長に巻き上げられて、残った金で女を買うしかやることがないという。
 マルチンが勝ち誇った顔をするので、カンディードは二人に金を与えて「これで幸せになれる」と言い張った。うわさによると元老ポコクラントという人が苦労知らずだというので、二人は会いに行った。
 
第二十五章
 ポコクラント閣下は金持ちで、ラファエルの絵画も自分のための演奏も様々な書物にも飽き飽きとしていた。あらゆる所有物を批判するポコクラントの様を見て、「この人はわがドイツの詩人にも最大の軽蔑しか持ってないらしいよ」とカンディードが言うと、マルチンは「別に大した損害でもありますまい」と答えた。「すべてを超越して他人の欠点を論うのは愉快ではないか」とカンディードは言ったが、マルチンは「それはすなわち、楽しみを持たない事が楽しみだということですか」と言い返した。
 
第二十六章
 ある晩、カカンボがやって来た。キュネゴンドはコンスタンチノープルにいて、カカンボはある人物の下僕になってしまったという。彼の給仕する晩餐に出向くと、元トルコ皇帝アクメット三世と、元ロシア皇帝イワンと、元英国王チャールズ・エドワードと、元ポーランド王と、同じく元ポーランド王(ポーランドは度々分割されていた)と、元コルシカ王テオドールが、謝肉祭の見物に来ていて同席した。彼らの落ちぶれを見てカンディードは王にはなりたくないと思った。
 
第二十七章
 カンディードとマルチンはカカンボとその主人アクメット大帝の船に乗った。「何はともあれ、これからキュネゴンドに会えるのだからすべては善だね」と言うカンディードに、マルチンは「そうであればよいが」と言った。カカンボはキュネゴンドと老婆を救出した後、海賊に全財産を奪われて各地を連れ回され、各自はトルコの廃帝らの下僕になって、キュネゴンドも皿洗いをしているという。「何と不幸ばかり続くのか。パングロス先生なら誰が一番不幸か言い当ててくれるのに」とカンディードが言うと、マルチンは「どうやって人の不幸を比べられるかわかりませんが、わたしにわかるのは廃帝らより百倍も不幸な人が何百万人もいることです」と答えた。
 ガレー船の船長が漕ぎ手を鞭打つのを見て、それがパングロスと若君(カンディードが刺したキュネゴンドの兄)に似ていると思っていたら、まさにその二人だった。船長に金を払って二人を解放すると、パングロスはカンディードの足元に跪いて泣き、若君はちょっと頭を下げた。
 
第二十八章
 若君はあの後、傷は癒えたがスペイン軍に負けて捕まり、司祭としてコンスタンチノープルに派遣される道中で御用係と海水浴をして、キリスト教徒は回教徒(イスラム教徒)と丸裸でいるところを見つかると死罪になるそうで、ガレー船で処刑されるところだった。
 パングロスの方は、火刑になるところがひどい雨嵐が来て、絞首刑に変更されたが手際が悪く、死に損なった。医者と兼業の床屋が解剖してみようとパングロスの腹を十字に裂いたのでパングロスは「どうかご慈悲を!」と悪魔のような悲鳴をあげた。その後、回教徒の寺院を見物していて信女の胸を触ってしまい、キリスト教徒と見破られてガレー船に送られた。こういうことはよくあるという。
 カンディードが「それでも世界は善だとお考えですか」と聞くと、パングロスは「わしは哲学者だから考えを変えたくないし、ライプニッツ説に間違いがあるわけがなく、最善説は予定調和や充実や微細物質の説と同じくらい美しい」と言った。
 
第二十九章
 カンディードはキュネゴンドと再会した。キュネゴンドは働いて醜くなっていた。しかも高飛車な性格は変わっていなかった。それでもカンディードはキュネゴンドと結婚したい所存を若君に伝えた。若君は「絶対駄目。政略結婚をしなければドイツ貴族に戻れなくなるから」と答えた。カンディードは言った。「このド気違い! お前たちの身代金を払って助けてやって、汚くなったお前の妹を親切にも妻にもらってやろうと言ってやってるのに、ほんとうに怒ったら、また殺すぞ」
 
第三十章
 カンディードはもうキュネゴンドとの結婚はどうでもよくなっていたのだが、今さら致し方なく結婚した。若君の方は再びガレー船に乗せてローマの大司教のもとへ送り返してやった。彼らの新しい生活はユダヤ人にたびたび欺されてすぐに貧乏な農家へと落ちぶれた。この退屈な生活は幸せだろうか。そこにパケットと僧ジロフレーが金を使い果たしてやって来た。
 パングロスはついに「こりゃ何たる世界だ!」と思って一番名高い回教僧へ「原因と結果とは何か、可能な限り最善な世界とは何か、悪の起源や魂の本質は、または予定調和について」教えを乞うたが、「余計な事を考えるな」と言われて追い出された。
 一同は途方に暮れて、最善説が正しかろうとも結局は、自分たちの畑を耕す以外に方法はないのだと悟った。


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