山田悠介 「リアル鬼ごっこ」

yamada3.jpg

一(意味レベル):中学生程度の妄想作文。無意味。
2から4(感情ステップ):嫌いな社会と家族に愛されたかったが諦める。

2001年文芸社(自費出版)、2004年幻冬舎文庫。
著者:山田悠介、編集:文芸社、のちに幻冬舎、解説:横里隆(雑誌「ダ・ヴィンチ」編集長)。
小説、41字×16行×302頁(タイトル、目次含む)+解説8頁。
構成スタイル:サスペンス形式(時折ナレーションが入ったり脇役の感想が飛び出してドラマ調になる)。
主張:娯楽。
ジャンルと要素:妄想(自身の空想への感想文)、社会(王政と無気力社会)、人情(家族愛と友情)、青春(学生時代)、アクション(追いかけっこ)、逃走劇(鬼ごっこ)、暴力(発砲殺人など)、ほか。処女作。


解説と批評。
「リアル鬼ごっこ」
 例えば中学生のあなたのクラスで山田君という人が休み時間も机に向かい何かを書いている。聞いてみると小説を書いているという。学校で流行っていた鬼ごっこが題材だという。その拙い字の原稿を横目で眺めながら、あなたは何を思うだろうか。「がんばれ未来の小説家」と思うか、それとも「そんな小説が売れるはずはない」と思うか、いずれにしろ山田君の歩み出しに言い知れぬ「こそばゆさ」を感じるものだろう。
 ところが予期せぬ事が起こった。出版社が乗り気だという。若者の潮流などと持ち上げて山田君は瞬く間に「先生」になってしまった。あなたは町の本屋さんに積まれた彼の小説を見て戸惑う。書店員が作ったポップ広告には「今、売れてます!」と応援の言葉が躍っている。あなたの目の前で誰かがそれを手に取り会計に持っていく。あの日ちょっと見せてよと言えばすぐ手に届く所にあった原稿が今や千円の本と成って「あなたも買うの?」とそこから問いかけてくる。
 そしてあなたは何を思うだろうか。その日から作家になった山田君と、彼の周りに集まり出す下心の群れを目の当たりにするあなたは、やはりその千円の本をそっと買ってしまうのだろうか。こうなったら率先して彼にサインをねだりに行くだろうか。はたまた頑なに読まないと決め込むのだろうか。
 町中にあなたの心を煽るあの本の「のぼり旗」が立つ。お前はもう読んだのかと噂に追われる。気になるなら読んでしまえばいいのだ。そうして本の内容に自分の判断を下せばいいのだ。だが、本当にそれでいいのか。中学生が鬼ごっこについて書いた本だぞ。こんな物が持てはやされるのは、持てはやそうとしたからではないのか。この本を買って、この本が売れて、そして山田君がベストセラー作家の先生になってしまうのは、本当にそれで正しい事なのか。
 最後にあなたはこうやって自分を納得させるしか出来ないだろう。書く事も読む事もそれを売買する事も人の自由なのだと。欲しがる人がいて、山田君は上手くやったなと。唯一つどうしても拭えない疑問を一つだけ抱えてこのゲームから去ってゆく。どうして山田だったのか。

「王道の在日文学」
 いかにも香ばしい題名の作品は、買わない、読まない、気にもしない。これが一番の対処法であるのは言うまでもないが、買って読んで憤ってしまった哀れな人のために真面目な解説をしておこう。
 物語はよく解らないものに追われ続ける被害妄想スタイルのサスペンスの中でも特に「在りもしない日本社会に追われる」類のものである。その傾向から在日文学と呼ぼう。登場する王様という存在は隣国北朝鮮で独裁国家を営むキム総書記のような存在で、佐藤姓を捕まえる鬼ごっこは朝鮮から日本に逃げ込んだ不法滞在者を取り締まる公安警察のようなもの。登場する一般日本人の「リアル鬼ごっこ」への無関心は朝鮮問題に関する無関心そのもので、日本にはない兵士なる存在は朝鮮の徴兵制度への恐怖のようだ。いずれも日本では在り得ない現実だが隣国では日常に在り得る「リアル」なのだろう。
 在日朝鮮人作家ならそういった母国の不安を日本人に触れ易くするために「嘘のつき方」を洗練してゆくものだが、本作は数多ある在日文学の中でも群を抜く出来の悪さで嘘が下手だ。だからこそ彼らの精神の妙を学べる良書と言えるかもしれない。ちなみに本書を少し巧妙にすると伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』になる。内容はほとんど同じようなもの。発表年は伊坂氏が後だ。ただしこの手の作品は在り触れていて朴李元は不明である。
 この本が自費出版で百万部売れたという煽り文句についてもここで一つ書いて置く。例えばあなたがこの本より面白い小説を書いて自費出版をしても百万部は売れない。どうして断言出来るかと言うと「販路が無い」からだ。ゆえに自費出版は執筆の話であり、百万部を売るには別にセールスマンがどうしても必要となるのだ。自然に売れる物など世の中にはないし、本は特に売れない物だから、営業という仕事が存在する。山田氏本人が百万部を売りさばけたのであれば彼は執筆より営業の天才であろうし、そうでないならば「特別な販路」を持っていたことになる。または自費出版だからこそ付ける嘘だろうか。
 これをもって、良い物が売れる、つまり売れた物は良い物だ、という考えはもう止めた方が良い。

「中身はヴァーチャル鬼ごっこ、それって普通」
 では、小説の中身を見ていく。
 何かの言い訳のために3000年と設定された現代と変わらぬ日本が「王様」に支配されている。その王は自身の「佐藤姓」が大衆化した事による自尊心の不安から戯れに全国の「佐藤さん」を捕まえる行事を起こした。主人公の「佐藤翼」はそんな社会を適当に味わい憤慨しつつ、自身の生い立ちへの不満と社会問題を重ねて考える。
 作者の精神の根幹にある「何か気に入らない社会」を無理矢理に言葉で表現するとこういう世界になった。よく分からない理由で捕まえる方も逃げる方も自力で走る。その時間は一日に一時間でよい。鬼役と逃亡者のフェアだともアンフェアだとも言えない中途半端な関係が「鬼ごっこ」のゲーム性を欠き、結局ただ「佐藤」と名付けられた一部の人達が逮捕されるだけの物語になってしまった。捕まれば殺される。そんな状況でも本気で抵抗しない逃亡者達は大人しくルールを守って捕まってゆく。他の民衆は無関心にテレビを見ていて逃げ続ける佐藤を不思議そうに見守る。そんな幼稚で無知な「作者のリアル感」を若者達のリアルなのだと嘯く(批評家の皮を被った)宣伝マンもいるが、この物語を読んでどこに「リアル」があるのか聞いてみたいくらいだ。つまり社会問題だと言いたいらしいのだが、この小説はどこをどう読んでも作者の個人的な妄想でしかない。捕まったら殺されるという設定が付いた、ただの鬼ごっこ遊びではないか。
 つまりこれを「現代の若者がうんぬん」と言いたいのであれば、この鬼ごっこが実社会を模していなければならないのだが、本文では捕まるのが怖いし悲しいという感想が書かれるのみで現実感が丸で無い。では追いかけっこの風情が娯楽的に(手に汗握るハラハラ展開で)描かれるかと言えばそうでもなく普通に追いかけられて走って逃げるのを繰り返す。感想文の内容は、父が嫌い、母は居ない、社会から逃げたい、自分は優秀なのに、不幸な事ばかり続いて、もう生きられない、というもので作者の個人的な悩みでしかない。
 小説も鬼ごっこも全てがヴァーチャルな設定の一体どこにリアルがあるというのだろうか。

「普通に詰まらない」
 読者が期待できる最後の砦となろう文章それ自体も普通だ。つまり、普通に詰まらない。
 まず起結が成立していない。支配者を打倒したところでお話には何の解決も無い。佐藤姓が全滅するのかと思えばそうでもなく、独裁者による専制政治が終わるのかと思えばそうでもない。小説の中で物事が何も動いていない。無意味そのものだ。それで作品としては最低点を付けなければならないが、これは特に珍しい事でもない。商業作品としては余り見られないが、そこら辺の中学生に作文を書かせれば大体はこんなものである。書き始めた頃は誰でもそうだ。
 空想にもユーモアは一切無く、どれもB級のドラマや映画で既にありふれたシーンであり、特筆すべき面白さは一つも無い。こういう幼稚な作品には「とんでもございません表現」によって日本語を破壊してくれるようなパワーを求めたいがそれも無い。若者に売れたと宣伝されているが若者にこそ嫌われる拙さがあり、どこで誰に売れたのか疑わしい。文章はワンパターンで「道徳的に悪いこと」を「とても」に類する強調表現で書き表され、約三百ページに渡ってこれを組み合わせた「とても悪い」が繰り返される。王様がなぜ人間狩りを「鬼ごっこ」と名付けたゲームにするのかよく分からないとか、翼の父親がなぜ家族に虐待をしたのかそれらしい記述も無くてこれもよく分からないとか、ほとんどがよく分からないが、とにかく全ては「とても悪い」とだけ説明される。その単調も詰まらない作品ではよくあることだ。そこから脱却しようとして強調を意識し過ぎる余りに書いた文章を三行程先で引っくり返す癖も作者には見られるが、そういう悪い癖はどの作家にも少なからずあるだろう。無意味な脇役キャラクターも、投げっぱなしの伏線も普通に下手なだけ。あってほしい「とてつもなく変なもの」は無い。
 良否問わず何か一つでも目立つものが欲しい。このままでは「売れた」と言いふらして「売れる」だけの特徴しかない。結局、如何わしい応援団が後ろについた過剰な宣伝から、逃げ切れなかった読者が捕まってしまった「リアル鬼ごっこ」なのだろう。それもよく考えてみれば、普通の事。
(追記。文章が普通なのは文庫版発表による改訂のせいらしいので、単行本ではさらに下を望める可能性あり)


あらすじ。(ネタバレですので必要な方だけどうぞ)
 十四年前、主人公「佐藤翼」の母は夫婦の不仲から翼の妹だけを連れて家を出て行った。
 現在、この国では建国以来百五十代続く佐藤王家が厳しい法律を強いて国の平和を維持してきた。ところが当代の王は決断力が弱く、国民から「馬鹿王」とあだ名を付けられていた。彼は国内に自分と同じ佐藤姓が五百万人もいることに不快感を覚え、それらを抹殺しようと決断する。そんなことをしては国の威厳に傷が付くと側近に諌められると、王は国家プロジェクトとして「鬼ごっこ」ゲームを開催すれば国の威厳を傷付けずに佐藤姓を捕まえられると思いつき、一週間の開催期間を設けた。最後まで逃げ切れた者には願い通りの褒美を与えると言う。マスコミはこれを「リアル鬼ごっこ」と呼んだ。
 翼は大学三年生になっていた。恐るべき新人と言われて将来を期待される短距離走選手だ。「リアル鬼ごっこ」が始まって二日目の終了時に翼の父は心臓発作で死ぬ。翼の母親が既にこの世の人ではなく、妹だけが大阪淀川区新北野にいると最後に告げられた。父の葬儀を済ませて大阪に向かうと、そこで幼馴染の「佐藤洋」と再会する。二人は中学生時代の非行仲間だった。その洋を犠牲にして四日目のピンチを乗り切った翼はついに妹の「愛」と再会を果たす。六日目には妹も捕まり、最終日には翼も自身の人生を思い出しながら精神も肉体も絶望的状況に追い詰められる。しかしその時、鬼役に良心が芽生え、なぜか翼は見逃してもらえたのだった。
 クリスマスの閉会式。褒賞として何でも願いを叶えてやると言われた翼は王の死を願うと言い放って銃の引き金を引いた。「バイバイ……王様」。銃は鬼役が提供してくれた物だった。王は死んだ。翼も兵士に撃ち殺されて、王国の佐藤は王の弟である王子一人になった。王子の継いだ王国は平和になった。


「解説」 横里隆 (p.303-310)
 「山田悠介は混迷の出版業界における新たなヒーローである」
 混迷を極めた時代が求める狂気を併せ持った英雄は、織田信長、ナポレオン・ボナパルト、アドルフ・ヒトラー、そして山田悠介である。彼が混迷の出版業界を打破する。
 山田は自費出版だからこそ生まれたニューヒーローだ。大手文芸出版社なら、このクオリティの低い作品はあなたの手に届けられなかった。喜ばしい結果だ。
 本の他に娯楽が沢山ある現在、売れるか売れないかの事前の判断が難しくなった。出版業界は弱体化し、読者は情報に成熟して出版社の笛に踊らされなくなったが、逆に外からビッグヒットが舞い込む可能性もある。ケータイ小説『Deep Love』と共に業界の光が見える。
 同様に小説の内容も読者の価値観をひっくりかえす。足元の床が突然抜け落ちるリアルな恐怖、つまり世の不条理、を疾走する。作者にはアナーキズム(無政府主義)があり、主人公が何もかも喪って走る姿は美しい。山田悠介と私たちが走り出す。もっと速く。走れ、走れ、走れ。この生き苦しい時代を突き抜けて生きつづけろ。


この記事へのコメント

  •  作者の精神の根幹にある「何か気に入らない社会」を無理矢理に言葉で表現するとこういう世界になったなどと、最もらしく書いていますが、貴方に関しては「何か気に入らないもの」があると、すぐ朝鮮に結び付ける癖がおありの様で。知性の欠如。
    2017年08月02日
  • 追記、中学生みたいなのはあなたです。ネットで聞きかじった知識を信じて、隙あらば半島の話を出さずにはいられないのは、今時の中学生にはよくあることです。本当の妄想作文は、貴方のこの膨大な書評モドキやポエムであることに気が付いたほうが良い。一体何千時間無駄にしたんですか?随分とお暇そうですから、問題はないのでしょうが。
    2017年08月02日
  • 批評界の管理人

    残念ながら現状の朝鮮は日本の邪魔しかしていません。
    今のあなたの行いがまさにそれです。
    良い朝鮮人もいるのですが
    あなたのような人がいるから全員が嫌われるのです。

    こないだのハルヒのコメントもあなたなのですが
    どうして慣れない日本語で粘着するのでしょうか。

    こないだも書きましたが、あなたがなぜ怒っているのか
    痛いところを突かれているからではありませんか?
    2017年08月07日
  • 最初に言っておきますが私は日本人です。

    私は「朝鮮が日本にとって害になっている」という事実と、この本やハルヒの間には何ら関係性がないにもかかわらず、朝鮮のことを引き合いに出しているところがおかしいと言っているのであって、「朝鮮が日本に対して害をもたらしている」ことを否定しているわけではありません(むしろこの点については同意すらします。朝鮮学校についての一連の事柄について、私は日本人としてこれ以上ないほど憤っています)。

    貴方は貴方の書評の論理構造が、「最近雨が多いが、これは朝鮮人のせいだ」と言っているのと大差がないことにどうして気が付くべきです。私があなたの理性と知性の欠如を見出したのは、「如何なる事象も朝鮮と結びつけずにはいられない」という点に於いてであって、「朝鮮の批判をする」という点においてではありません。日本語が読めないのはどちらですか?
    疑心暗鬼という言葉があります。ポルポトはインテリを恐れるあまり、眼鏡をかけているだけでその者を処刑したと言います。さながら幼子が暗闇に、存在しようもない幽霊の類を見出すように、貴方は朝鮮を憎むあまり、あらゆるところにそれを見出さずにはいられなくなっているのです。これが私の言うところの理性と知性の欠如です。私を根拠もなく朝鮮人認定したことにもそれが現れています。私が日本人として憂いているのは、どんな形であれ、この様にかの国の幻影に日本人の精神がむしばまれていくことです。先日、こういう訳で私が感情的になったことは認めますが、貴方ももう少し冷静になるべきだとは思いませんか?あの国が本当に憎いのなら、あの国に貴方の理性と知性とをささげてやる必要などないのですよ。
    2017年08月13日
  • 誤字の訂正をしておきます。これを理由に朝鮮人認定されたらたまらないので。

    貴方は貴方の書評の論理構造が、「最近雨が多いが、これは朝鮮人のせいだ」と言っているのと大差がないことに気が付くべきです。

    「どうして」を削除
    2017年08月13日
  • 批評界の管理人

    誰が朝鮮人かどうかなんて書いてないのですよ。
    あなたたちが関係のない「はず」の朝鮮に触れることが
    日本の邪魔にしかならないのだと書いてあるのです。

    どうして尻尾を隠せないのか。簡単に罠にかかる。

    山田さんは雑誌ダ・ヴィンチ繋がりですね。
    あなたの野次は見ていてかわいそうなレベルですので
    自制できないのであればアクセス禁止にしてあげますよ。
    あなたが本当に日本人なら自重できますよね?
    2017年08月17日
  • ごめんなさい。貴方の書かれている文章が、日本語母語話者の私には理解できませんでした。私には、明らかに貴方が荒唐無稽なことを書き連ねて、日本人の品性を貶めようとしているようにみえます。これ以上話していても仕方が無い。時間が無駄なので、今日限りで切り上げましょう。ところでハルヒと朝鮮とを貴方がどういう根拠で結びつけたのかについて、お答えいただけなかったのは極めて残念です。事の発端はそれなのですがね。やっぱり最初から根拠なんかなかったんでしょう。根拠なき書評は書評ではありません。それはもはや貴方の妄想作文です。まあこうしてここにそれらを書き連ねて、貴重な人生の残された時間を、徒に費やせばいいです。誰も構ってくれないのに、こんな長文を健気にも何十本も書いている貴方について何か思う事はもうありません。中学生並の精神性でここまで来てしまった人間に対して、私が掛けられる言葉なんて、残っていようもないのです。でも老婆心ながら言わせていただきますと、人生というのはその使い方を知っていれば長いものです。貴方の知識は偏っていますが、まあ量だけはありそうなので、こんなところで「慣れない日本語」を使って書評モドキやポエムを書き散らしているのではなくて、他にもう少し生産的なこともできる筈ですよ。アク禁についてはどうぞご自由に。質の悪い日本語を見るリスクがわずかながらでも減るという事は、喜ばしい限りです。ただ、自分の意見に賛同しない人間をすべて排除するような者が、どのような末路を辿るのかは、輝かしい人類の、そして貴方の祖国の歴史が、ある程度は証明していることと思います。さようなら、バイアスにまみれた愛すべきペダンさん。
    2017年08月25日
  • 批評界の管理人

    「あなたが本当に日本人なら自重できますよね?」
    2017年08月26日
  • あの「 日本人なら自重ができる」という命題には根拠が無いと思うんですが....。
    2017年08月28日
  • 批評界の管理人

    あなたのお陰で山田さんと谷川さんの後ろに朝鮮系の応援がある確信が得られましたので最後に一つだけヒントをあげます。

    私は日本語を話せる日本人です
    なんて言う日本人はいないと気づきませんでしたかw
    文法だけじゃなくてこういうところも気をつけて。

    これに懲りて今後はもっと自分を重んじなさいな。
    あなたたちのために
    2017年08月31日

この記事へのトラックバック